試験は誰でも不安なものです。しかし、試験が極端に不安になってしまい、その不安のために試験のための準備に手がつかず、それでますます不安になる、という悪循環が生じていくことがあります。最悪の場合、高まる不安の苦痛から逃れるために、試験が始まる前にすでに敗北宣言をして、受験を放棄するに到ってしまうことさえあります。こうした悪循環のベースにある不安を「テスト不安」と呼びます。
学生相談センターに相談に訪れる学生の中には、テスト不安を示す人がしばしばいます。ここでは、テスト不安についての理解を深め、この悪循環を断ち切り、建設的にテストに向かっていけるよう応援する一般的な手ほどきを述べます。
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試験期間が終わったら
テスト不安を抱えている人の多くは、試験期間が近づくにつれて不安になります。しかし、試験期間が過ぎると不安は去り、長期休暇や通常の授業期間には特に不安ではなくなり、まったく普通の状態になることが一般的です。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言いますが、試験期間が過ぎると不安が去るため、何らの対策をもしないまま、また次の試験期間を迎えてしまい、同じことを繰り返している人がよくあります。試験期間が終わってつらい不安がなくなると、むしろ積極的に試験のことは考えないようにしてしまい、気がかりはありながらも、対策を先延ばしにしてしまうのです。
たとえば、飛行機恐怖症の人は、飛行機に乗っていないときはまったく不安ではありません。でもその状態を治っているとは言わないでしょう。というのも、次に飛行機に乗る機会が訪れればまた不安になることがほとんどだからです。「もしかしたら治っているかも」と淡い期待を抱きながら、積極的な対策を打たずにいても、自然に治っているという保証はどこにもありません。それはかなりリスキーな対処法です。
不安がないときにこそ、テスト不安の対策をしておきましょう。
中程度の不安を持つようにする
一般的に言って、不安は有用なものです。不安があるからこそ、人間はここまで生き延びて来られたのです。不安は、「ここは大事な場面だよ」「備えをしないとダメだよ」と警告する信号です。そして備える行動に駆り立てる動機づけの機能をもった情動でもあります。
ただし、一定限度を超えて不安が高まると、不安は遂行を妨げるようになります。それが問題です。
しかし、不安があること自体は問題ではありません。不安は不快なものではあれ、人生の大事な道連れなのです。
つまり、不安をなくそうと努力することは目標ではないということです。テスト不安をはじめ、不安の問題に煩わされている人は、不安になることをおかしいこと、よくないことだと考え、しばしば不安をゼロにまで引き下げようと努力します。しかしこの目標設定が、皮肉なことによけいに不安を高めてしまう一因となっていることが多いのです。
テストを前にして不安をゼロにすることは無理があります。不安になってよいのだと思ってください。不安はあなたを助けようとしているのです。そのメッセージを受け取ってください。
そしてそれ以上に度を超して不安になることについて、対策を考えていきましょう
不安を増幅させている不合理な信念を見つけよう(論理情動行動療法的アプローチ)
「大事な試験だから不安になる」というのは、ある意味、当たり前です。誰でも不安になります。大事な試験で不安にならないということはありえません。不安は「これは大事なことだよ」「ちゃんと備えをしなさいよ」と知らせる信号であり、それにふさわしい行動へと駆り立てる働きをもつ有用な情動なのです。ですから、大事な試験で不安にならないということはありえません。とはいえ、多くの人は不安を有効に活用し、不安を追い風にして前進します。極度の不安にあおられて難破するわけではありません。その違いはどこから来るのでしょうか?
同じ出来事を前にしても、誰でも、いつでも、同じ感情が機械的に引き起こされるわけではありません。つまり、出来事(試験)が、直接、感情(不安)をもたらすわけではないのです。出来事をどのように解釈するかによって、同じ出来事に対しても異なった感情が生まれてきます。
A.「試験は自分の人間としての価値を計っている、試験に落ちるということは自分がダメ人間だということだ」
A.「試験で落ちるということは、先生が私を嫌っているということだ」
A.「常に自分はトップにいて輝いていなければならない。そうでなければ自分には価値がないということだし、それは耐えられないことだ」
B.「試験でうまくやれたらそれに越したことはない。でも仮にうまくいかなかったとしても、自分にはその結果を受けいれることはできる。今はうまくいくようにベストを尽くそう」
B.「試験はただ単にその科目の理解を調べるだけの、かなり粗雑な物差しにすぎない。試験に落ちたからといって、私の人間性とは何の関わりもないし、試験に通ったからといって、人間的に優れているわけでもない。私の人間性については、それをまず私自身が認めるところからはじめよう。」
B.「トップに立てれば嬉しい。私はそういう思いを強く持っている。でも常にトップに立たなければならないわけではないし、トップでなくてもその結果をありのままに受けいれよう」
Aのような信念(解釈のスキーマ)を、硬く強く持っていたら、試験はとても不安なものになって当然です。もしあなたが極端なテスト不安を抱いているとしたら、テストという出来事について不安を高めるような信念を何らか抱いている可能性が高いと考えられます。自分の不安の背景にどのような信念があるか、探ってみましょう。まずはその信念をはっきりと自覚することです。こうした信念はたいてい無意識的なものです。あまりにも自分にとって自然で当たり前なので無意識的なのですし、不安がまとわりついているので無意識的なのです。落ち着いて心を見つめ、ノートに書いて眺めてみましょう。
「この信念を抱いている限り、テストを前にして極端に不安になるのも当然だ」と納得できる信念が書き出せるまで、その作業を続けます。
そうした信念を自力で見つけ出せる人もいますが、難しい人もいるでしょう。その場合には、誰か信頼できる人と話して、手伝ってもらうのがいいでしょう。そういう人が身近にいなければ、カウンセラーがお手伝いします。
そうした信念が見つかったら、じっくり眺めてみてください。
ノートに書き出したら、まるで誰か知らない誰かが書いたノートがそこに置いてあったかのようなつもりで、客観的に眺めてみましょう。
その信念を声に出して読んでみましょう。どんな声がふさわしいでしょうか。もし違った声で読んでみたら、どんな感じがするでしょうか。高い声、低い声、厳しい声、優しい声、眠たそうな声、同性の声、異性の声、甲高い声、鼻にかかった声、いろんな声で試してみてください。
その信念を利き手とは逆の手でノートに書いてみましょう。そして眺めてみましょう。
その信念を誰かが語る場面の脚本を書きましょう。その人に対していろいろな人がいろいろな意見を述べます。脚本家になったつもりで面白い脚本を書きましょう。
さて、その信念は、あなたにとってはごく自然で正しいものと感じられてきたものでしょう。いわばあなたの長年の連れ合いです。だから、そのまま持ち続けていたいと思うことでしょう。それが普通です。本当にそうしたいのでしたら、そうすることもできます。それはあなたの自由です。その信念を本当に持ち続けたいのかをよく検討してみてください。
不安を引き起こす考えを受けいれよう(アクセプタンス&コミットメント・セラピー的アプローチ)
以下に挙げたのは、テスト不安を強く感じやすい人が、不安になるときに頭に浮かんでいる考えとしてしばしば述べるものです。あなたはどんな考えやイメージで、自分を不安にさせているでしょうか? じっくり振り返ってみてください。できるだけ具体的に詳細に特定することが大切です。以下の記述はあくまで参考です。あなたを不安にさせている考えやイメージを明らかにすることが大切です。
1.パフォーマンスについての心配
- もっと勉強すべきだったのに!
- どうせまともな答案は書けないだろう
- 頭が働かないし、何も憶えられない
2.不快な身体反応をめぐる心配
不安が続くと、その結果として実際に、腹痛、下痢、頭痛、肩こり、などなどの身体症状が出てきます。以下に示したものは、不安の結果である身体症状についてまた不安になるという二次的な不安です。
- お腹が痛くなるんじゃないか、お腹が痛くなり始めてはいないか
- お腹が痛い(もっと痛くなるんじゃないか/自分は異常だ)
- 嫌な汗が出てきた(変な奴だと思われるだろう/自分は異常だ)
- 手が震えている(変な奴だと思われるだろう/自分は異常だ)
- 普通はこんなふうな身体の状態にはならないはずだ
3.他人と比較しての心配
- みんなはもっとよくできている
- 自分はこの教室で一番ダメな学生だ
- 私だけがこんな問題を抱えている
4.否定的な結果についての心配
- もしこの試験で失敗したら生きていけない
- もしこの試験で失敗したら留年だ
- もしこの試験で失敗したら大学院に進学できない
- もしこの試験で失敗したら卒業できない
- もしこの試験で失敗したら家族が失望するだろう
- もしこの試験で失敗したら先生が失望するだろう
- もしこの試験で失敗したらみんなから馬鹿にされるだろう
こうした考え(あるいはそれを具体化したイメージ)が浮かんだとき、多くの人は反射的にそれを払いのけようとします。何か他のことを考えたり、音楽に集中したり、動画やDVDを見たり、外を走り回ったりします。これらの行動の具体的な内容は違いますが、その機能は同じです。不安を引き起こす考えやイメージから注意を逸らすことです。必死に勉強に集中しようとがんばることも同じ機能を果たすことがありえます。
こうした努力は、短期的には何らかの効果をもたらすこともありますが、長期的にはうまくいかないことが多いのです。つまり、不安を引き起こす考えを払いのけようとすると、その考えはよけいにしつこく何度も何度もやってくるようになるのです。
あなたは、不安を引き起こす考えやイメージを払いのけようと努力しているでしょうか? もしそうなら、その努力はどのような効果をもたらしているでしょうか? そのことをまずチェックしてみましょう。そしてもしそれが思わしい効果をもたらしていないのなら、その努力をやめることを考えてみましょう。
不安を引き起こす考えを振り払う努力を止めるというのは、不安を引き起こす考えに単に取り憑かれるとか、溺れるとか、浸るとかいうことではありません。そうではなく「マインドフルネス」と呼ばれる心の状態を維持することです。
マインドフルネスは複雑な概念ですが、主に3つの構成要素があります。
- 今ここに持続的に注意を置く
- 脱フュージョン(考えやイメージに入り込まない)
- アクセプタンス(ありのままを受容する:コントロールしない)
1.今ここに持続的に注意を置く
人間の不安や思い煩いの大半は、過去や未来、つまり、今ここに現前していないものに関わっています。それらは、人間がその豊かな言語能力、想像能力を使ってアタマの中で作り出したものなのです。これとは対照的に、マインドフルネスの心の状態は、今ここに注意を置くことを基礎としています。
そのための最もポピュラーな方法は、呼吸に注意を向けることです。呼吸をコントロールするわけではありませんし、呼吸について考えるわけでもありません。ただ呼吸に注意を向けて、呼吸を感じます。浜辺で寄せては返す波を眺めるように、自分の呼吸をあらためてじっくりと感じます。一呼吸、一呼吸、常に新しい呼吸を、楽しんでゆったりと感じます。
2.脱フュージョン(考えやイメージに入り込まない)
人間にとって、自分の頭の中でオートマチックに起こる言語活動や想像活動は、その人の主観的世界を作り出すものです。人間は、本を読んだり映画を見たりすると、今ここの環境を完全に忘れて、そのお話の世界の中に入り込むことができます。その同じ能力が、来週試験があると考えたり、試験の場面を想像したりすることに用いられると、まだ試験は1週間後なのに、その世界に入り込み、ドキドキしたり、手が震えたりし始めるのです。このように、今ここの現実への直接的な反応ではなく、考えや想像の世界の中に入り込んで反応しているとき、そのプロセスを認知的フュージョンと呼びます。
映画館で映画に没頭していても、隣の席の人がコーヒーをこぼしたら、パッと今ここの現実に目覚めるでしょう。今まで入り込んでいたのは映画の世界だったのだと気づき、今ここのシートを認識し、スクリーンの上に映画の世界を認めます。これを脱フュージョンと呼びます。
頭の中にオートマチックに起こってくるさまざまな不安な考えに引き込まれ、不安な空想にふけってしまうときがあるでしょう。でも、そうしている自分に気がついたなら、その瞬間が脱フュージョンです。「あっ、また試験で失敗するって考えてた」と気がついたときが脱フュージョンです。そこからそのまま考えに耽り続ける人もよくあります。でも、そこで脱フュージョンして、呼吸(今ここ)に注意を向ける。そうやって脱フュージョンを維持することもできます。不安を引き起こす考えから脱フュージョンし、それを維持することが、テスト不安から自由になる上で役に立ちます。
3.アクセプタンス(ありのままを受けいれる:コントロールしない)
今ここに注意を置き、脱フュージョンしても、いろんな考えはやはり次々に湧いてくるでしょう。いろんな感情もわいてくるでしょう。いろんな感覚が感じられるでしょう。それらをそのままにします。そのまま、ありのままに感じます。それらもまた、今ここの一部なのです。ただしフュージョンせずに、感じます。呼吸に注意を置いたままで、「胸の辺りに不安感があるなあ」「試験の場面が浮かんできたなあ」「またあの不安な考えが浮かんできたなあ」などと、ありのままに、浮かぶままに任せながら、眺めておきます。
そうした不快な考えや感情を追い払おうとしたり、またその中に入り込んでふけったりしないで、そのままにしておきます。
とはいえ、気がついたら考えにふけっていたということも起きるでしょう。それが普通です。そのときには、それに気づいたその瞬間、脱フュージョンした瞬間に、その考えに別れを告げ、そっと呼吸に注意を向け直します。
人に助けを求める
テスト不安は、真面目で、やや強迫的で、自立心が強く、しっかり者であろうとし、実際にそうできてきたタイプの人によく見られるような印象があります。逆に言うと、ちゃらんぽらんにテキトーにやるとか、人に頼ることが上手な人にはあまり見られないような気がします。
つまり、ちゃらんぽらん力を育てる、依存力を育てることが、テスト不安の緩和をもたらすだろうと予想されるのです。
自立心が強い人の中には、何でもしっかり自分でできてしまい、まったくと言っていいほど人に頼らないために、結局、淋しい生き方になっている人を、時折、見かけます。社会は相互依存で成り立っているのですが、依存を拒否して生きていると、結局、社会を拒否して生きているのと同じことになり、孤高の人になってしまうのです。
「人に迷惑をかけない」というのは立派なことですが、それが最優先課題になり、頼りたいときにも頼らないようになってしまうと、それは社会性の問題です。依存は社会性の一部なのです。
テスト不安について、周りの信頼できる人に打ち明け、相談してみましょう。友人と一緒に勉強することが不安を和らげ、建設的に試験準備をする役に立つという人もいます。試験前や試験中にも、図書館で一緒に勉強して、その後、食事したり、愚痴ったりすることがいいという人もいます。
苦しいとき、困ったときに、人に頼ることは、とても大切ですし、有用なアクションです。もちろん、カウンセラーに頼るというのもありです。
試験前ではない、普段の生活から、ちゃらんぽらん力、依存力を養うよう、見直してみましょう。