Index
大学での留年について
高校生までは、留年(原級留置)は、全日制の普通科の高校であれば、たいていの学校においては1パーセントにも満たない少数の生徒のことであろうかと思います。
けれども、大学ではそうではありません。文部科学省の学校基本調査によれば、4年制学部を4年で卒業するのは、入学者のおおよそ8割弱です。超過して在籍せずに4年で退学したり、それ以前の学年ですでに退学している学生もいますので、残りの約2割のすべてが5年目に突入するわけではないのですが、それでも高校の場合と比べれば桁違いに多くの学生が既定の年限を超えて在籍します。留年も含めてとにかく卒業までこぎ着ける人は、入学者のおおよそ9割です。
京都大学においても事情はほぼ同じです。ただし学部により留年の発生率はかなり違っており、入学定員の3割台に上る学部もあれば、1割台に留まる学部もあります。けれども、大学全体ではおおよそ2割の学生が留年しています。
これだけの数の人が留年したり、退学したりするということは、留年や退学は、単に個人の失敗としてのみ捉えられるべきものではないということです。つまり、現在の日本の社会において大学というシステムは、一定数の留年や退学を生み出すようにできているものなのだということです。
そこには、大学入学に至るまでの進路相談やキャリア教育の体制、大学の入試のあり方、カリキュラムのあり方、修学支援体制、転学科・転学部制度、編入学制度、大学での進路相談やキャリア教育の体制、企業の採用のあり方など、数多くの要因が多重に関与しています。そうした理解に立った上で、留年に取り組み、進路選択をしていきましょう。
留年を繰り返させる行動や考え方のパターン
もちろん、海外留学その他の自己研鑽、あるいは介護、病気療養など、何らかの目的や事情があって、意図的・計画的に留年する人もあるでしょう。その一方で、学業面で困難を覚えたり、修学への意欲や意義を見失ったりして、不本意に留年してしまう人もあります。
不本意に留年してしまったとき、その留年がさらに留年を呼ぶという悪循環をもたらすことがあります。留年してしまったら、いかにこの悪循環に陥らないか、もし陥ったならそこから抜け出すかに意識的に注力することが大切です。そのために、以下のような状態に陥ってはいないか、チェックしてみてください。
1.留年を家族や友人に隠そうとする
恥ずかしいこと、不名誉なことと感じられるから、あるいは怒られると予想するから、などの理由で、しばしば留年の事実は家族に対して隠蔽されます。友人に対しても隠されます。そのことは、留年した学生を周囲から切り離し、孤立化させていきます。これはたいていの場合、心理的にも、社会的にも、重荷になります。誰にでも言うようなことではありませんが、人を選んで、自分の状況を打ち明けてみましょう。打ち明けてみたら、肩の荷が軽くなっているのに気がついたという人が多いです。
2.一挙に挽回しようとする
留年すると、不足した単位を一挙に挽回しようとあせるあまり、たくさんの科目を登録するという履修パターンになりがちです。制度上の限界まで登録する人もしばしば見られます。けれども、多くの科目を履修するには、それだけ多くの学習が必要です。体力も能力精神力も必要です。あせって手を広げすぎた結果、どれも十分に集中して学習できず、結局、壊滅的な結果になる人を見かけます。1日2コマ、週に10科目ぐらいに絞り込んで登録し、受講する方が、結局は着実であることが多いのです。
3.日々の楽しみを自分に与えない
「留年している自分には日々の生活を楽しむ権利などない」と考えて、苦痛な勉強をすることだけに専念するような生活をしている人を見かけることがあります。そのように潤いのない生活を続けていると、いったい何のために勉強しているのか分からなくなってくるかもしれません。心から笑うとか、ちょっとした贅沢を味わうとか、がんばった自分にご褒美を与えるとか、留年して以来、そういった時間がほとんどないという人としばしば出会います。小さなことでもいいので、日々を楽しみましょう。
4.卒業しなければ生きていけないと考える
「卒業しなければ破滅だ」「卒業しなければ生きていけない」というような、極端な悲観的考えを固く抱いている人を見かけることがあります。しかし、後でも述べるようにストレートで卒業し、就職した人も3割ぐらいは3年以内に離職しているのです。留年、中退、退職などは、人生において多くの人が経験するごく普通の出来事です。こうした出来事に不寛容な社会は、チャレンジを抑制する社会であり、不健全な社会です。いつでもやり直しがきくような社会をみんなでともに作っていきましょう。それに、こうした極端な悲観的考えは、あせりをもたらし、かえって修学意欲を窒息させてしまうのではないでしょうか。
5.時期尚早に「来年からがんばろう」と考える
まだあきらめるのは早いのに、まだ試験期間は終わっていないのに、「もう無理だ」「どうせ通らない」などと考え、そして「来年からがんばろう」と決心するということはないでしょうか。より小さなレベルでは、まだ授業は終わっていないのに「今日の授業は、もう遅刻だし、今さら行っても仕方がない。明日からがんばろう」と考えるということはないでしょうか。たとえ不完全でも、たとえ中途半端でも、たとえみっともなくても、とにかく今、行動することが大事です。それを避けて、早々と諦め、未来のいつか行動するための美しい計画を立てるというパターンに陥っていませんか。
6.自分は他の学生より明確に劣っていると考える
白か黒かを割り切って考えるように、留年していない(と思われる)周りの学生と留年してしまった自分との間にシャープな境界線を引き、周りの学生は「優秀」で、自分は「劣等」だと考えてしまう人をよく見かけます。現実には、白と黒の間に多様なグレーが連続的に存在しているように、周りの学生と自分との間にもそれほど明確な境界線は存在しないのです。不安は人を二分法的な思考へと駆り立てます。それに加えて、孤立してしまうと、実は周りの学生の多くも実は講義内容をあまりよく分かっていないというような情報は入ってきにくくなります。そのことを理解してください。
留年脱出のためのちょっとした工夫
1.朝、部屋から外に出るまでが苦痛な人
朝、起きて、部屋を出るまでが最大の難関だという人がしばしばいます。一旦出かけてしまえば、大学に行くことはずっと容易になるのだけれども、部屋から出るのがおっくうで、部屋でダラダラしてしまうのです。心の中では大学に行かないとと考えながら、ダラダラ過ごします。そうすると嫌なイメージが湧いてきて、ますます出かけるのが嫌になってしまう。1時間、2時間と時間だけが過ぎていき、「明日から頑張ろう」という結果になるのです。
もし、あなたがこのようなパターンに陥っているのなら、とにかく、朝、出かける習慣をつけることが大切です。ちょっとした工夫でこのパターンから抜け出た人がいます。その人は、朝、起きたら、とにかく近所の自販機まで行って缶コーヒーを買って飲むことにしたのです。出かけるときには、大学に行くことは考えず、ただ缶コーヒーを飲みに行こうと考えます。そして、缶コーヒーを飲み終わると、その時、そこから大学に行くことはさほど苦痛ではなく、すっと行けるのです。
しばらくそれをウィークデーに毎日続けていると、それが習慣になり、大学に行くことが自然とできるようになったと言います。
1日130円、1ヵ月で3千円ほどの投資で、朝、部屋から出られず、大学に行けないというパターンを打破することが出来ました。
自販機でなくとも、コンビニでもいいでしょう。できるだけ近所で、何かちょっとした快を与えてくれる場所を見つけて、そこに行くことを習慣化しましょう。ただし、あまり心地よく長居できてしまう場所はやめましょう。快適なソファがあって何時間も居られるような喫茶店などはお薦めできません。部屋でダラダラする代わりにそこでダラダラするだけになる可能性があるからです。
2.教室に知人がおらず、欠席時の授業関連情報を入手する出来ない人
留年してしまうと、同じ授業を取っている知り合いがいなくなってしまうことが増えてきます。そうなると、欠席したときの授業のノートや試験情報などが人づてに入りにくくなります。
教室に知人がいないのなら、声をかけて作ればいいということなのかもしれませんが、実際のところ、知らない人に声をかけて欠席時の授業について尋ねたり、ノートを見せてくれるよう頼むというのは、かなりの人間力を要求する課題です。授業に出る以上にハードルが高いと感じる人もいるでしょう。
そこを超えていくための今どきの方法にネット利用があります。
学部によっては、留年学生の情報交換のためのライングループがあるところもあります。留年学生の情報交換・発信のためのTwitterアカウントもあるようです。
ネット利用の強者で、先生の名前や科目名でツイッターを検索し、ヒットしたツイートの中から、現在受講中と思われる人を見つけて、メッセージを送り、必要な情報を教えてもらったという人もいます。
高校時代の知人が(あるいは知人の知人でも)京大に来ているなら、SNSで連絡を取って、誰か同じ授業を取っている人を知らないか尋ねてみるという手もあります。
現実の人間関係とネットとを併せてフル活用し、必要な情報を求めることです。
3.普通の生活、潤いのある生活を
留年からひきこもりへというパターンを避けましょう。生活のリズムを建て直しましょう。大学の外でもいいので、どこか出かけて活動できる場を持ちましょう。アルバイトでも、ボランティアでも、趣味の活動でもいいです。本業の領域とは無関係の資格や検定に取り組むのもいいでしょう。
とても憂うつだったり挫折感に打ちひしがれているときは、ひきこもって休むことも必要です。けれども、ある程度休んで、ちょっと元気が回復してきたかなと感じたら、何か活動を始めることを考えてください。ひきこもりの長期化は、悪循環を加速してしまいます。
そうした普通の生活を続けながら、元気が出てくるにつれて、ぼちぼち大学について考えていきましょう。
留年・中退というキャリア
もしあなたが「留年したら終わりだ」とか「中退したら破滅だ」とか、悲壮な思いで考えているとしたら、冷静になって欲しいと思います。全国平均で、大学を中退する人は入学生の1割ぐらいいます。つまり、毎年、おおよそ5万人の大学中退者が生み出されているのです。留年する人も2割ほどいます。それだけの数の人が、中退、留年という学歴をもっているのです。厚生労働省の「21世紀成年者縦断調査(2012年調査)」によれば、在学中の者を除く 20 歳代の若者の10人に1人は中退者(高校・短大・専門学校などの退学者も含む)だということです。
児美川孝一郎(2013)によれば、高校入学者が100人いるとしたら、そこからの経歴において、留年歴も中退歴もなく就職して3年以上勤めている人は、41人に過ぎません。残りの59人のうち、6人は大学院進学者ですが、53人はどこかで留年、中退、ないし退職しているのです。ストレートな経歴で就職した会社に3年以上勤めているという人は、100人のうち半分もいないのです。
留年中の人は、中退してしまったら就活で不利になると恐れている人もいるかもしれません。たしかに、企業の採用方針の狭量さゆえに、現在のところそういう現実があることは残念ながら否定できません。調査では、大学中退者は、全体として非正規雇用就労者の割合が高いということが示されています。調査からは他にもさまざまな面で大学中退者の困難な就労状況が読み取れます。詳しくは「大学等中退者の就労と意識に関する研究」(独立行政法人 労働政策研究・研修機構、2015)を参照してみてください。こうした現実を客観的に知ることは、進路を決める上で大切なことです。
しかし、そうした不条理な現状を踏まえた上で、だからといって中退したら人生が終わりだとか、破滅だとかいうわけでは決してないということにも目を向ける必要があります。上に挙げた調査でも、大学中退者が全員失業しているとか、誰も正社員になれないとかいう結果が出ているわけではないのです。あのスティーブ・ジョブズも、ビル・ゲイツも大学を中退しています。Facebookを立ち上げたマーク・ザッカーバーグ、ソフトバンクの孫正義もそうです。タモリ、秋元康、堺雅人などなど、大学を中退して社会で活躍している人はたくさんいます。こうした著名人に限らず、当たり前に普通に働いてこの社会を支えている大学中退者はいくらでもいるのです。留年経験者なら、なおのこと、たくさんいます。
京都大学は難関校です。当然のことながら周囲の人たちは退学を勧めないでしょう。何とか頑張って、何年かかっても卒業するよう勧めることが多いでしょう。たぶん、あなた自身もそう考えることが多いでしょう。本当に卒業したいのであれば、それは当然のことであり、有意義なことです。
でも、正直に言えば大学生活に意味を感じられず、退学したいし、その方がいいんじゃないかと思っているけれども、退学したら「人生破滅」だという恐怖のイメージから、やはり退学はできないという考えに傾いている人もいるかもしれません。自分には合っていない、やめたい、という心の声がしても、いったん始めたことを途中でやめるのは意気地なしだとか負け犬だとかいう考えのために、その心の声に耳をふさいでいる人もいるかもしれません。期待してくれている親やお世話になってきた先生に申し訳ないという思いから、どうしても退学は口にできないと考えている人もいるかもしれません。
続けるという選択を支えている根拠の大きな部分が、やめられないという理由にあるのなら、一度、やめるという選択肢を落ち着いて現実的に考えてみてはどうでしょうか。大学をやめてできることを考えてみましょう。胸の奥やお腹の底から聞こえてくる心の声にじっくり耳を傾けてみましょう。そういう作業を十分に経た上で、やっぱり続けるという選択になる場合もあるでしょう。その場合でも、やめるという選択肢を検討することは無駄ではないはずです。やめるという選択肢を十分に検討することで、続けるという選択は、より積極的で能動的なものになることでしょう。
みなさんの人生の時間は有限であり、貴重なものです。みなさんが有意義な決断をされることを願います。日本の社会の現状において、こうした判断は誰にとっても難しいものです。人生の岐路において、絶対に失敗のない完璧な決断などありえません。迷って当たり前、たじろいで当たり前です。必要ならば一緒に考えていきましょう。それとともに、大学における進路変更がより自由に安心してできるような社会をみんなで実現していきたいものです。