コロナ障害学生

Students With Disabilities In The Pandemic

2020 to 2021

Introduction

新型コロナウイルス感染症がこの世界を覆って早1年。あたりまえのように続くと思っていた日常は、突如として変わった。
大学の授業はオンラインになり、学生たちは通学しなくても授業を受けられるようになった。

「リスクは不平等に分配されている」

取材をした、ある障害学生はそう言った。
大学の授業がオンラインになったことで、障害のある学生らが様々な困難に出くわしていた。
オンライン画面にアクセスできず必要な情報が得られなくなった者、膨大な量の課題に一切手をつけられず、誰にも相談できないまま追い込まれていった者。
こうした学生らが、「みんな大変だから」という言葉の中に置いていかれてはいなかったか、後回しにされてはいなかったか。
確かに大変だったのは障害のある学生だけではない。教員も職員も他の学生も、あらゆる人がそれぞれに苦しい状況にあった。ただ、それでも、「障害者は大変だった」という現実が、あまりにも当たり前のこととして受け止められてはいないだろうか。

ここに記したことは、2020年10月〜11月にかけて、大学に通う障害のある学生と支援者ら計20人に聞き取った話が元になっている。取材の間も状況は刻一刻と変わり、徐々に対面取材は難しくなっていった。当然ながらどの取材相手もコロナ禍にあり、今目の前で起きていることを語るにはやや時期尚早と思われた。それでも話をしてもらった。
発せられた言葉は、後から考えると少し違うと感じられることもあったかもしれないが、私はその時々で取材相手が何を感じ、考えているのかを知りたいと思っていた。それは、その時々で考えざるを得なかった問いや疑問の中にこそ大事なことがあるのではないかと思ったからだ。

取材内容は、三つの記事にまとめて書いた。「#1 何が起きていたのか」は、大学での学びの環境が変動する最中、障害のある学生らがどのような状況にあったのかを京都大学の話を中心に書いた。「#2 支援の葛藤」では、特に発達障害傾向のある学生をめぐる支援者の葛藤に焦点をあてた。「#3 情報をめぐって」では、コロナによる影響が特に情報取得に関わる問題として現れていたことについて書いた。
取材を通じて浮かび上がってきた疑問をさらに深め考えていくために、第2部として、荒井裕樹氏(障害文化論)、斎藤環氏(精神科医・ひきこもり研究)、熊谷晋一郎氏(小児科医・当事者研究)の3人の専門家にそれぞれ取材をし、記事にした。

コロナによる非常事態は、私たちが当たり前と思っていた価値観やあり方が、けっして当たり前ではなかったことをあぶり出している。障害のある学生たちを取り巻く状況を、いま改めて考えてみたい。