コロナ障害学生

Students With Disabilities In The Pandemic

2020 to 2021

#3

情報をめぐって

「情報」にするための支援

 取材を進めていくうちに、コロナ禍で障害学生が一番困っていたのは情報に関わることではなかったかと思い始めてきた。
 情報と言ってもそれが指す内容はあまりに広いので、ここではさしあたって、「受け手にとって意味をなす言葉の集まり」としたい。
 例えば微分積分学の授業を理学部の学生が受講すれば、講義内容や板書、配布物など全ての資料が意味のある情報となり得る。しかし、文学部の学生にとってもそれらが同じ程度の情報になるかというと、そうではない可能性が高い。同様に、学位取得に必要な科目数や成績評価の方法を情報として受け取るのは主に在学生である。また支援者にとっても、学生を支援する限りにおいてそれらは重要な情報となる。受け手にとって意味をなすとは、そういうことである。
 支援の視点から考えるなら、障害のある学生に対する学びの支援は「情報化支援」と呼べるかもしれない。元のままでは情報になり得ていないものを、障害のある学生にとって意味をなす情報にするための支援だからだ。
 視覚障害のある学生にとって文字や画像などの視覚資料そのものは見えていなければ意味がなく、聴覚障害のある学生にとって講義の音声はただの雑音に過ぎなくなる。発達障害のある学生にとっても、様々に散らばるあらゆる言葉は、ただの記号や音でしかないかもしれない。情報となり得ていない文字や音を、手話やテキストに置き換えたり、整理して優先順位をつけたりすることで、初めて意味のある情報となる。

聴覚障害学生への情報保障

 オンライン授業が始まったとき、最も早急に整えなければならなかった支援の一つが、聴覚障害のある学生に対する情報保障支援だった。配信される授業の動画音声が、そのままでは聞き取れなかったからだ。
 岡山大学の池谷いけたに航介こうすけさん(岡山大学障がい学生支援室・講師)は、支援の方法を一から考え直さなければならなかったと話した。通常は授業を受ける同じ教室内にサポートの学生を2人1組で派遣し、講義内容を交互でパソコンに打ち込む文字通訳支援を行なうが、いつも使用している文字通訳ソフトが遠隔での使用に対応していなかった。しかし支援は待ったなしだ。そこで、もともと大学が契約しているGoogleのサービスを急遽使うことにした。これならなんとか間に合うと考えたからだ。
 Googleドキュメント内に2人のサポート学生が遠隔で文字を打ち込み、その情報を聴覚障害学生が受け取る。文字通訳の状況がわかるよう、担当教員も支援室も同時にモニタリングができるようにした。使用を開始した後も試行錯誤の繰り返しだったが、支援を担ったベテランのサポート学生たちがなんとか工夫をこらし、ルールを作りあげていった。
 最終的には原因不明のタイムラグが生じるようになり、captiOnlineキャプションライン注釈1という別の専用アプリケーションに切り替えることになった。当初の方法がベストだったとは決して言い切れないが、間をつなぐことはできた。
 しかしそもそも遠隔になれば、基本的には画面上に文字を表示させることしかできない。私自身も経験があるが、いつもなら支援者と聴覚障害のある学生が同じ教室にいるため、機器のトラブルが起こっても互いの様子から気付くことができたし、タイピングが難しい数式や外国語が出てきた場合には、手書きや教科書を指でなぞるなどして伝えることもできた。ところが遠隔では、伝えられる情報も伝わってくる情報も自ずと限られてしまう。

写真1
銀杏が色づく岡山大学のキャンパス。学生の姿は少なかった。

 私の心配をよそに、京都大学で遠隔の文字通訳支援を利用していた長谷川はせがわ隼也しゅんやさん(京都大学・工学部)は、特に問題を感じなかったと答えた。機器や接続のトラブルで文字が表示されないことは何度かあったが、時間が経つにつれて問題は徐々に解決していった。
 全ての聴覚障害学生に当てはまる話ではないが、授業画面にアクセスさえすれば受けられたオンラインの文字通訳支援は、普段、教室の中で複数のパソコンをセットし、サポートの学生に囲まれながら授業を受けることに比べれば、少し負担が軽減されたのかもしれなかった。

必要な情報は自分たちがもっている

 長谷川さんのように、支援方法を変更することで自身に必要な情報を得られた学生がいる一方、必要な情報を簡単には得られなかった学生もいる。
 博士課程の研究生として日本に留学しているマーク・ブックマンさん(東京大学先端科学技術研究センター・交流研究生)は、難病のため普段は車いすを使って24時間の介助を受けながら生活をしている。現在住んでいる場所は、大学から1時間程の距離にあり、公共交通機関を乗り継がなければ大学には通えない。しかし重症化のリスクが高いブックマンさんは、かれこれ半年以上公共交通機関を使えないでいる。そのため居住区からは全く出られず、研究活動もままならなくなっていた。もし大学や図書館の近くに住めていれば、研究活動は続けられたかもしれない。
 2018年に来日する際、大学の近くで車いすのまま生活できる場所を探したが、大使館や大学に問い合わせても前例がないため情報がないと言われてしまう。なにをするにも自分で一から調べなければならず、求めている情報もほとんどなかった。結局、数ヶ月にわたって居住地は定まらず、なかなか研究活動も始められなかった。

「障害のある学生にどんなニーズがあるか、はじめから一大学が全てをわかっているということはなくて、学生が自分のニーズをどう伝えられるかが大事だと思っています……障害のある学生は、今までそれぞれの生活の中でたくさんのバリアにぶつかって、そのバリアをどう解決してきたかという情報をもち合わせているはずです。それを他の障害のある学生にも共有して、バリアを改善したり解決するためのヒントにできるのではないかと考えています」

 コロナ禍で障害のある学生が問題に直面しているのであれば、それ自体が他の障害学生にとって有用な情報になり得る。ブックマンさんは現在Digital Storytellingという手法を使い、障害者がネット上に自身の生活の様子や困りごと、解決の方法などを映像で投稿し、共有するウェブサイトの立ち上げを準備している。自身の経験をもとに、特殊な経験であればあるほどそれを必要としている人がいると考えるようになったからだ。大学の支援室にも、障害学生のニーズやその解決策に関わる情報が集まっていくことが望ましいと話す。

必要な情報がわからない

 自分にとって必要な情報がわかれば、あとはその情報を得るための手段を整えれば良い。しかしながら全ての障害学生が、自分に必要な情報をあらかじめわかっているわけではない。
 長崎大学のピーター・バーニックさん(長崎大学障がい学生支援室・助教)は、発達障害傾向のある学生の様子を次のように話した。

「そもそもオンライン授業になることを知らなかった学生もいたし、オンライン授業というものを想像できず、テレビのように流れてくると思っていた学生もいました」

写真2
2020年11月12日Zoomで取材を行った。夏にハワイへ帰省しなくてはならなくなったバーニックさん。その頃すでに直行便はなく、アメリカ本土を経由し2週間の隔離生活も経験した。

 自分にとって必要な情報がなんなのか。それがわからなければ、今なにをしなければならないのかがわからず、なにもできないでいることが問題にすらならない。たとえ問題に気が付いたとしても、やはり自分ではどうすることもできず、なにもできないでいることへの焦りが身体症状となって現れる学生もいた。
 さらに状況を難しくしたのは、そうした学生たちの様子を支援者であるバーニックさんらが把握できなかったことだ。普段であれば支援者から声をかけ、できていないことや困っていることがないか一緒に確認することができた。しかしオンライン授業になり、学生が大学に来なくなると、会うことも難しくなり、連絡をしてもなかなか返事が返ってこなかった。
 必要な情報を取得できなかった学生は、大学から届く膨大なメールやお知らせから自分に必要な情報を選び取ることができずにいた。気が付けば数百件ものメールが溜まり、パソコンを開くことさえできなくなっていた。支援者からのメールも、大量に溜まったメールボックスの中に埋もれていたに違いない。整理のつかない情報の渦に溺れる学生を、遠隔で支援することはほぼ不可能だった。

 明治学院大学の岡田おかだ孝和のりかずさん(明治学院大学学生サポートセンター・コーディネーター)も、直接会えなくなったことで、発達障害や聴覚障害のある学生らへの支援の量がいつもより増えたように感じると話した。

「普段なら、直接会って、これで大丈夫だね?って確認して、あんまりはっきりした返事がなくても、ある程度あいまいに進んでいく感じがあるんだけど、電話やメールだと、これでいい?っていうことにいちいちイエスかノーで答えてもらって、よくよく聞いてみると大丈夫じゃないじゃんっていうことも出てきて……。そうなるとまた前の話に戻ってみたいなことですごく時間がかかってしまって、学生の負担もすごく増えてる感じがする」

 学生と直接会えば、表情など言葉以外からも学生の様子を知ることができた。学生がわかっているのかわかっていないのか、曖昧な返事にもグラデーションがあると思えた。ところが電話やメールだとどうしても言葉以外のことが省かれてしまう。やりとりは一問一答のようになり、曖昧な答えや答えがないという答えは許され難くなった。支援者にとっても必要な情報が不足していた。

写真3
全ての扉を開け放った教室で。岡田さんとは3メートルほど離れ、ロジャーマイクを間に置いて話を聞いた。

準備がいかに大事だったか

 追い込まれた学生たちは休学や退学を考えるまでになっていたが、支援室に相談にやって来るのは前期が終了する間近だった。
 鹿児島大学では、7月になって初めて相談対応の件数が前年度を超えた。それ以降も相談件数は増え続け、私が取材に訪れた11月の前月には、前年度の2倍になっていた。
 今村いまむら智佳子ちかこさん(鹿児島大学障害学生支援センター・特任助教)は、これまで精神や発達障害のある学生に対する支援では、前もって準備をすることに重点を置いてきたと話す。ところがコロナ禍では、事前に準備をしたくても支援者に必要な情報が届かず、準備ができなかった。

「私たちもいろいろなパターンの想定ができないままに、後手後手に進んでいました。今回、発達とか精神の学生さんたちは、スタートの時点で他の学生から何歩も遅れて動き始めるしかない状況でした。そもそも後からついていくことが苦手だから、いつも前もって準備をしているのに、それができなかったんです」

 苦労せず必要な情報を得られた学生とは違って、自力で必要な情報を得難い学生にとっては、支援者とともに自分に必要な情報を整理することはとても大切な助走になっていた。にも関わらず、大学からの情報提示は直前になることも多く、あらかじめ準備をする暇はなかった。

情報取得をめぐる差

 取材を続ける中、オンライン授業の開始決定や方法に関する周知を早い段階でできていた大学もあり、準備が間に合ったと話す支援者もいたが、ごく少数だった。ほとんどの支援者がオンライン授業に備える時間も余裕もなかったと話した。
 ここで大学の対応の良し悪しを論じるには、取材の量も時間も足りない。ただ言えることは、コロナ禍では卒なく情報を得られた学生とそうでなかった学生がおり、情報の取得に関わる差が歴然とあったということ。そして情報取得をうまくできたかどうかが、この状況をやり抜く上で大きな分かれ目になったということだ。残念ながら、必要な情報を得るための支援は遠隔では難しかった。
 今村さんは今回のことを振り返り、次のように話した。

「学生のアドボカシー・スキルをあげておくというか、彼らが自分で言っていけるようにしておかないと……自分がどうして、なんのために支援や配慮を得ているのか……例えば今回だと、学生の方からもっと早く情報を出してもらわないとわからなくなる、不安になるということを伝えていくことはできたかなと思うんです。それができるとだいぶ違ったかなと」

 これまで私は、支援者や大学など、周りになにができたかという視点で取材を進めてきたが、大学の環境を変えていくために本人たちの声が大事であるというのはまったくその通りだと思った。

わがままであってもいい

 今回の取材で、「学生にも責任がある」と言う人がいた。先に登場した岡田さんだ。岡田さんには聴覚障害があって、自身も学生時代に文字通訳の支援を受けた経験がある。以前取材でうかがった際、初めて受けた文字通訳の支援によって世界の見え方が変わったと言っていた注釈2

「責任って言うとちょっと強すぎるけど、学生自身も自分に合うところをしっかり選んでいくことが求められていると思う。それは支援があるとかないといった表面的なことじゃなくて、その根底にある本質的なところをみていかないといけないという意味で」

 まだまだ選択肢は少ないが、岡田さんが学生だった頃に比べて大学の支援はずいぶんと整い、支援を受けるハードルも下がってきたのは確かだ。けれども大学によって障害学生への対応が違ったり、支援者の考え方も一様ではない。自分に合う支援を提供している大学でなければ、大学生活はマイナスからのスタートにすらなると岡田さんは言う。もちろん行きたい学部があるとか、通える距離にあるなど、支援以外にも考えなければならないことは山ほどあるが、障害のある学生にとって支援とは、大学の学びに留まらず、これからの生き方にもつながり得る大事な要素である。だからこそ、できる限り自分に合った支援を行う大学を見つけてほしいと思っている。
 少し厳しくも聞こえるが、支援に妥協しないというのは、支援に対してもっと貪欲に、わがままであってもいいということだと思った。なぜなら支援や合理的配慮は決して恩恵で受けるものではなく、権利としてあるからだ。

 全ての取材を終えた後、鹿児島の今村さんから一通のメールが届いた。取材の中で、自身が「セルフアドボカシー・スキル」と言ったことに違和感があり、ずっと考えていたという。今村さんにお断りをして、ここに一部を掲載させてもらうことにした。

「(セルフアドボカシー・スキルが)自分の状態を把握し、必要な支援を要請する力だとすれば、それはそれで大変重要ですが、スキルよりも観念的な、文化の違う、なかなかわかり合えない人達とも一緒に生きていこうと思える力かなと思います」

 障害学生にとって障害のない人は、「文化の違う人」なのかもしれない。勉強の仕方、話す方法、考え方も、大きく違うのかもしれない。自分とは違う他者が多数を占める大学という小さな社会の中で、障害学生は圧倒的にマイノリティの存在だ。いつでも「なかなかわかり合えない」他者に囲まれながら自分のことを理解し、説明し、支援を求めていかなければならない立場にある。本人の声が大事なのはもちろんだが、それをセルフアドボカシー・スキルと言って周りが当たり前のように求めるのは少し違うのかもしれない。そんな違和感があって、今村さんはメールをくれたのだろうか。

 コロナによる災難は、全ての人に平等に降りかかったわけではなかった。コロナは、世界がフラットではないこと、デコボコであることを明るみにした。
 そんな中で学生たちが、もっとわがままを言ってもいいと思えるように、口をつぐまなくてもよくなるように、そして一緒に生きていこうと思えるように、環境を変えていかなければならないのは私たちの方ではないか。

注釈1

captiOnline

筑波技術大学産業技術学部の若月大輔准教授が開発したウェブブラウザ上で遠隔文字通訳を行える専用システム。

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注釈2

『ひと呼吸 #1』

京都大学高等教育アクセシビリティプラットフォーム(HEAP)が発行する障害のある学生への支援を行う支援者に焦点をあてたインタビュー紙。2018年〜2020年で10号を発行。岡田さんは第1号で取り上げられた。記事では、学生時代に受けた支援の話や現在の支援者としての思いなどが詳しく述べられている。

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