Text Only

Interview

これはインタビュー「大学生、花房朋樹の四年間」のページです。
ここをクリックするとトップページ(メニュー)に戻ります。

聞き手 辻井美帆(支援スタッフ)
2021年11月15日 京都大学吉田キャンパスにて

キャンパスの歩行訓練から始まった大学生活。大学生になった花房さんは、やりたいことはなんでもやってみようと考えていました。興味のある授業をたくさん受け、雪山実習や海外研修に参加し、視覚障害に関わる学生団体の代表もつとめます。そうした大学の四年間は手探りの連続。けれども迷ったときは、決してやめることを選ぶのではなく、やってみることで世界を広げてきたと言う花房さん。支援を担当していた辻井美帆さんが聞き手になって、これまでの四年間を一緒に振り返ります。

プロフィール
花房朋樹(2022年京都大学文学部卒業)
中学校(社会)・高等学校(地歴公民)教諭一種免許取得。西洋史が専門で、その他教育、障害学、ジェンダー論も積極的に学んでいる。「迷ったらやってみる」がモットーで、在学中に海外研修や雪山実習に参加した他、いくつかの団体で役員を務めた。趣味は歌うこと、しゃべること、文章を書くこと。2019年度に当時代表を務めていた関西Student Libraryの会報に連載を始めたのがきっかけで、小説を書くようになる。

辻井美帆(京都大学 学生総合支援機構 障害学生支援部門 コーディネーター)
2019年に着任し、花房さんが2年生のときに支援を担当。趣味は楽器を弾くことと写真を撮ること。花房さんが書いた物語を読み、もっといろんな人に読んでもらいたいと思ったことがこの対談やウェブサイトのきっかけとなる。
学生総合支援機構 障害学生支援部門(DRC:Disability Resource Center)
京都大学における障害学生支援の拠点として、障害があるなどの理由によって、修学上何らかの支援が必要な学生の相談に応じ、修学支援を行う部署。

本文
1 大学進学は特別ではなかった
辻井 もうすぐ卒業ですね。
花房 早いですね。
辻井 私は花房さんが2年生のときに初めてお会いしたんですよね。
突然ですが、花房さんってギター弾きますよね。あれいいなぁと思って。
花房 そうですか(笑)。ありがとうございます。でも「芸は身を助く」と言って、海外研修に行ったときもすごい助かりました。
辻井 インドネシアでしたね。
花房 いえ、ベトナムです……(笑)。行ったことない方にとっては東南アジアということでざっくりくくられますね。そのベトナムに行ったとき、むこうの学生さんすごいノリがよくて、いろんなパフォーマンスをしてくれたんですよ。でも日本人ってなかなかそういうことができなくて、ぼくがギター弾けて歌えるのがすごい重宝されました。
辻井 おー。
花房 障害があると周りに助けてもらうことがどうしても多くなるんですけど、ちょっと役に立てたかなっていう気にもなって。だから、芸は1個でも2個でももってたらいいですよね。
辻井 それはそうかもしれないですね。
では、ちょっと順を追ってお話を聞いていきたいと思います。まず将来をどんなふうに考えて、大学に進学しようと思われたんですか。
花房 もしかしたら特殊な例かもしれないですけど、公立の進学校に通っていたので、良くも悪くも大学進学はみんなするものっていう空気があったんですよね。だから周りと同じように勉強がんばって、京大を目指すのもわりと自然なことでした。決心したっていう感じではなかったです。
辻井 じゃあ自然に、みんな大学進学するし、という感じで。
花房 そうですね。ただ模試の判定だけはずっと悪かったです。
辻井 悪かったんですか?!意外でした。

2 急いで準備をする
辻井 受験勉強の方法とか使ってた参考書について教えてほしいんですけど、どんなふうに勉強してたんですか?
花房 進学ありきの高校のカリキュラムに助けられたところがたくさんありました。普段の授業が受験に直結するような内容だったんですね。参考書とか単語帳も指定されているのがあって、その一つひとつにしっかり向き合ってやってきました。
辻井 教科書や参考書は点字だったんですか?
花房 はい、点字でした。めちゃめちゃ分厚くて、部屋が点字教科書であふれてました。そのおかげで部屋の結露がマシになったって親が言うぐらい(笑)。
あと過去問もわりとやっていて、時間内に解く練習をしていました。でもそれぐらいかな。
辻井 受験のときの試験時間の延長は、大学に申請してやってもらったんですよね?
花房 はい、点字受験で通常の1.5倍の試験時間でした。それで受験のときは、タイプライターっていうアナログ式の点字を打つ機械を持って行きました。
辻井 持参だったんですね。
花房 そうなんです。行きは電車だったので、かなり重たかった記憶があります。
辻井 点字も分厚いし機械も重たいって、受験するだけでも大変なのに……。
でも晴れて合格されて、一人暮らしを始められるんですよね。部屋は入学が決まってから探したんですか?それとも前もって探してたのかな?
花房 それ度々聞かれるんですけど、ぼくが長男ということもあって、家族もそういうことに全く慣れてなかったんです。だから本当に無計画で、合格してから探しに行きました。
周りの話を聞いてみると、受験当日に親がついてきて、本人が受けてる間に仮押さえしておくみたいなことがわりとあるらしいんですね。でもぼくは受験当日にも下宿先の案内をもらっていながら、「そんな気分ちゃうわ、落ちたらむなしいだけやん」とか言って全然考えてもなかった。それで受かってから探しに行ったら、やっぱりみつからないんですよ。
辻井 そうかぁ……。探すときは何か条件があったんですか?
花房 大学に歩いて行けるところっていうのが絶対条件でした。入学まで1ヶ月を切ってたので、歩行訓練もほとんどできないだろうし、すぐ近くじゃないと通えないっていう頭がありました。
辻井 どういうふうにキャンパス内の場所を把握していったんですか?
花房 とにかく自分の所属する文学部の場所すらわからないようではどうしようもないので、週に1回京都ライトハウスの人に来てもらって、キャンパスのなか、下宿先から大学への道、それから大学周りを一人で歩けるように訓練してもらいました。それだけでは間に合わないので、親にも来てもらっていました。入学してからも歩行訓練はしばらく続けて、駅やスーパーまでの道を覚えました。あと時間があるときには、支援ルームの学生サポーターさんとも構内を歩いてましたね。
辻井 大学が始まるとすぐに授業が始まるから、スムーズにたどり着けるようにかなり急ぎで準備をされていったんですね。

3 どの授業も印象的
辻井 いざ授業が始まっていくわけですが、授業はどんなふうに受けていましたか?
花房 初めのうちはどんなふうに授業をするのか全然わからなかったから、支援ルームの職員さんと相談して、全ての授業に学生サポーターを派遣してもらっていました。でもそこからちょっとずつ一人で受けるようにしていきました。1年生前期の後半には、学生サポーターの入る授業と入らない授業は半々ぐらいになっていたと思います。
辻井 一人で受けるようにしていったんですね。それはどうして?
花房 ぼくの場合、その方がグループワークに入りやすかったり、先生とも話しやすかったりするんですよね。高校生のときから横にヘルパーさんがついていたわけではなかったので、学生サポーターは本当に必要なときっていうか、どうしようもないときに来てもらうイメージがありました。
辻井 なるほど。それが花房さんの標準だったということですね。
良い意味でも悪い意味でも、悪い意味は言いにくいかもしれないけど、印象的な授業や先生ってありますか?
花房 どれも印象的でしたね。
辻井 受けてた授業の数もすごく多かったですよね。
花房 たしかに、知り合いのなかでぼくより多く授業をとってた人とはいまだに会ったことがないですね。
すごく好きだった授業は法哲学の授業です。これはディスカッション中心で、受講生が質問してそれに先生が答えるんですが、すごく刺激的でした。
辻井 なるほど。中国語もとっていましたよね。
花房 中国語も印象的でしたね。中国では点字のルールも発展途上というか、少し前の辞書をみると全然違うルールが載ってるんですよね。初めて習う中国語をいきなりその複数のルールがある状態で理解していくのは大変だろうということで、はじめは独自のローカルルールというのを、中国語の先生と支援ルームのコーディネーターさんとでつくってやっていました。
ただやっぱり、中国でのルールが本来あるので、いずれ覚えていった方がいいんじゃないかって日本ライトハウスの点訳者さんに言っていただいて、1年生の後期に切り替えました。習うルールが変わったのでけっこう大変でした。
辻井 初めて習う外国語を習い方から考えていったわけだから、それは大変ですよ。
花房 でもいい思い出です。今でも中国語はけっこう好きなので。
それから3年生のときに、比叡山の斜面をよじのぼって行く実習にも行きました。
辻井 みんなでよじのぼるの?
花房 はい、みんなよじのぼるんです。
辻井 何をするの?
花房 地質調査で、斜面に生えてる木の根っこの数とその直径を測るんです。
辻井 根っこ?
花房 根っこが多いと土砂崩れが起きにくいんですよね。
辻井 ほー。あと、雪山も行ってましたよね。
花房 雪山実習も行きましたね。大学院生の学生サポーターさんに誘っていただいて。
辻井 それは何しに行ったの?
花房 雪を一部切り取って、深さと質を調べるんです。かんじきを履いて雪山歩いて、これもものすごい体験でしたね。
辻井 そういう実習とか海外研修では、手引きやガイドってどうしてたの?
花房 実習のときは学生サポーターさんに来てもらうこともありましたけど、海外研修のときは12、3人いる受講生が一緒に行動するので、そのメンバーにお願いしていました。だから、特別なサポートはつけてもらいませんでした。

4 やりたいことは直接伝える
辻井 そうやってふつうの座学だけじゃなくて、実習とかいろんなプログラムに参加してきたわけですよね。そういう授業って、高校までの教室だけで行われる授業とは全然違うと思うんです。
花房さんがそうやって山登ったり、雪山行ったり、海外行ったりすることに対して、場合によっては誰かがブレーキ踏むこともあるんじゃないかと思うんです。危険なんじゃないかと。そういうことはなかったですか。
花房 そうですね。実はそういうときに心掛けていたことが一つあって、とにかくまずは、直接先生と話すようにしていました。
辻井 直接会って、話す?
花房 大学のプログラムって、書類をもとに話が進んでいくじゃないですか。まず申請書を出して、その書類の備考欄とかに障害のことや場合によっては支援が必要っていうことを書いて提出する。それで、そうした書類がもとに話が進んでいく。
辻井 だいたいそうですよね。
花房 だから、先生のもとに書類が届いてしまう前に、そのプログラムの説明会とかに直接行って、これに興味があるんですって言うようにしてたんです。多少勇気もいりますけど、相手の反応をみながら話せるから、仮に相手がちょっと不安そうな様子になってもどこに不安を感じているかがその場で分かる。でもそれが書類になると、相手が勝手に迷ってイエスかノーの判断を返してくることになるから、どこで迷ったのかなんてわからない。だからなるべく直接話すようにしていました。
辻井 たしかに書類をもとに先に話が進んでいくと、視覚障害とかに慣れていない先生だったら、ケガしたらどうしようとか考える。そうなると消極的な選択をとりがちで、結果的にノーという返事が返ってくるかもしれない。そうならないように、あえて直接会って話すようにしてたわけですよね。そうするようになったのは、何かきっかけがあったんですか?
花房 なんとなく周りに聞く話とか自分の経験から、ちょっとずつそうするようになっていったんですかね。
辻井 でも実際、花房さんと会ったらパワーがあるから、そこまで言うんだったらって感じで進んでいくことがあったかもしれないですね。
花房 京大の先生って、よくわからないこと好きなんですよ(笑)。だから初めてでも、これも勉強だとか言ってすごくおもしろがって接してくださいました。やっぱり研究者なんでしょうね。だから、すごく良い環境にいられたなって感じます。
辻井 それはありがたいですね(笑)。

5 聞いて、触って、読む
辻井 現在の勉強についても少し聞きたいんですが、卒論を執筆されていますよね。テーマは?
花房 つい先月題目を出したばかりなんですけど、「『英国文明の花』?——好本督(よしもとただす)と前世紀転換期イギリスの視覚障害者」っていう……
辻井 へー。
花房 ちょうどその時期に好本督っていう弱視だった日本人がイギリスに渡って、イギリスで視覚障害者の置かれてる状況を学んでくるんです。それで日本に帰国して啓蒙していく。
辻井 外国の歴史研究なんかだと必要な文献を探すのがすごく難しいんじゃないかと思うんですけど、そのへんはどうしてるんですか?
花房 幸い指導教員がイギリスのチャリティー史専門の先生なんですよね。全くかぶってるわけではないんですけど、こういう資料があるんじゃないかってよく助言をいただいています。ほかにも知り合いのつてで相談に乗っていただく人がいます。
辻井 資料はどんなふうに読んでるんですか?
花房 支援ルームを通じて図書館の方でテキストデータに変換してもらっています。あと日本語の文献だったらサピエ図書館とか国立国会図書館で探して、英書だったらBookshareっていうので探すんですけど、そういったところでみつけて、自分でダウンロードしています。一部読める資料もあるので、それであればそのまま読むし、画像のPDFだとそのままの状態では読めないのでテキストデータに変換してもらってるという感じです。
辻井 最近たくさん本読んでるもんね。
花房 いやぁ、どうでしょう(笑)。本当はもっと読まないといけないはずなんですけど。
辻井 そういう文献は、音声で聞くことが多いですか。それとも点字にして読んでる?
花房 言語によって変えてて。日本語は音声で聞いてもある程度理解できるんですけど、英語を音声だけで理解するのは、ちょっとぼくのリスニング能力では無理なので、ブレイルメモで点字にして読んでます。
辻井 なるほど、使い分けてるんですね。

6 ハードルが高かった視覚障害者の集まり
辻井 ここからちょっとプライベートな部分もお聞きしていきたいんですけど、学生生活で最も時間をかけたことって何でしたか?
花房 一番は「SL(関西スチューデント・ライブラリー)」の活動ですね。この団体は視覚障害のある学生と、視覚障害とか点字に興味のあるみえてる学生とでつくる団体なんですけど、そこの代表を2年生のときにしてたんです。それがとてもいい経験でした。
辻井 それは高校生のときから入ろうと思ってたわけではないですよね?どうしてそんなに打ち込めたんでしょうか。
花房 えーっと、実は、高校生のときにすでに入ってたんです。中学生ぐらいのときに、とある視覚障害関係の集まりに年1回ぐらい顔を出してたんですが、そこで5、6歳上の大学生の先輩からSLっていう会があると聞いて。なぜかぼくは高校生でも入れると勘違いして、高校生になったとき、入れるんですか?って聞いたら「いいよ」って入れてくれたんです。
だからなんとなくメールだけはずっと受け取り続けてて、何のことかわからないまま高校の3年間は終えたんですけど、大学に入学するときその先輩がまた声をかけてくださって。
辻井 じゃあ、もともとつながりがあったというわけですね。
花房 一応そうですね。ただそんなに熱心に活動するつもりはなかったんですが、京大の点訳サークルの人もSLの役員をされていたので、京大の人もいるのかってちょっとハードルが下がったんですよね。
辻井 ハードルっていうのは?
花房 ぼくはずっと一般校で視覚障害者とのつながりがないままにきてたので、実はそういう集まりとか世界に飛び込むのってわりと勇気がいったんです。ふつう逆ですよね。でもぼくの場合、得体の知れない世界にいくような感じがあって……。
辻井 得体の知れない世界か……。たしかに花房さんの経験とかエピソードを聞いてると、いわゆる視覚障害者っていう属性をあんまり使いたくないというか、視覚障害はあるけど、それを特別視したくない花房さんがいるんだなという感じもします。

7 使命と思えるほどに
辻井 でも一方で、SLはまさに視覚障害に特化した活動なわけじゃないですか。障害とか関係なしに活動する部分と、障害者として活動する部分の両方があって、そのバランスってどうやってとってたんでしょう。わりと自然にできてたことなのかな。
花房 いやいや、ぜんぜん自然じゃなくて。自分のなかでもけっこう揺れてたし、今でも定まってるわけではないです。
とくに高校生までは、障害者の集まりに行くと、そういう人とつるんでる感じがして、正直それって負けなんじゃないかって思ってた時期があったんです。
でもやっぱり同じ経験をしているからこそ共有できる経験とか、教え合えることがあるなって、大学に入ってから気付き始めて。
辻井 そうだったんですね。
花房 高校のときって、クラスについていけばなんとかなってたんです。けど大学ではクラスもないので、自分でどうにかしないといけない。そうなったとき、身に迫るものがあったというか、不安になったんですよね。そういうことを話したり聞いたりできる知り合いが一人もいないって。
辻井 それで必要に迫られて。
花房 はい。でもSLで活動するようになったことがきっかけでアルバイトを紹介してもらえたり、視覚障害者だけでもカラオケ行けるらしい、卓球できるらしいって聞いていろいろやってみたり。ここで知れたことはたくさんあるし、人間関係も広がりました。
辻井 学祭にも視覚障害のある友達が何人か来られて、花房さんが案内されてましたよね。
花房 自分自身もすごく楽しくなってきて。これを後輩に残したいって思ったんです。先輩方が残してくれたからこそ今この体験ができてるわけで、5年後10年後までは責任もてないけど、自分の一つか二つ下ぐらいまではせめて残したいなって。ある種、使命と思いながら会長もやっていました。
辻井 楽しかったし、使命と思えるほど打ち込めたのは素晴らしいですね。
花房 日に日に感じていったのは、周りと同じようにやるって言ったってそうはできない、ならない現実でした。それにやっぱり、権利として主張していかないと切り開けない部分が絶対あるんですよ。それを言っていくときには一人で言うより、団体として言った方が強い。だから、そうしたことができる地盤をつくっておくことがすごく大事だって考えるようになりました。
辻井 なるほどなぁ。その葛藤やジレンマも含めて、花房さんの一端を知れた気がします。

8 楽しみながら知ってもらう
辻井 あえて障害っていうのを前に出さずにやってきた部分と、一方でSLの活動をやってきた両方があって、そのなかで物語を書くということが出てきたのかもしれないですね。もしかすると高校生のときの花房さんなら、あえて視覚障害を題材にした話は書かなかったと思うから。
花房 そうですね、高校生のときなら絶対にこんな発想はなかったでしょうね。
辻井 花房さんはSLの会報誌に寄稿する文章として、全盲の女の子が主人公の物語を書いたんですよね。物語にはその主人公をとりまく同級生の友人たちも出てきて、視覚障害があってもなくてもっていう言い方はありきたりなんですけど、全盲の主人公は冗談も言うし、ふざけるし、恋もするし、将来について悩むしって、そういう素朴な学生生活が描かれていてありありと情景が浮かんできました。
花房 2年生から4年生までの3年にわたって、SLニュースという会報誌に掲載してきました。
辻井 書くようになったきっかけって何だったんですか?
花房 すごくゆるいきっかけで。SLニュースは年に2、3回発行しているんですけど、ぼくが会長になったとき、SLニュース担当の人もぼくと同じく4月に担当になったばっかりで、どんな内容にしようって話になったんです。
辻井 どんな会報誌にするかっていうところから始まったんですね。
花房 そうですね。その頃SLには健常者の新入生がわりといたんです。でもそれまでのSLニュースは、視覚障害者の就職体験とか、視覚障害者に寄った情報が多かったんですね。せっかく視覚障害者以外の学生もたくさん参加してくれてるので、もっとそうした人たちにも楽しみながら読んでもらえるものをつくりたいって思って、そういうことをぼくが提案したんです。物語っぽくやったらおもしろくなるんじゃないかって。じゃあ誰が書く?ってなって、言い出しっぺのぼくが書くことになって……。
辻井 そうだったんですね。実際に掲載されたSLニュースをみると、白杖や点字タイプライターの写真、あと手引きのワンポイントアドバイスがコラムで載ってて、たしかに視覚障害のない人たちに向けて書かれていたのがわかります。あとすごく気になったのが、これ「マンガ」って紹介されてますね。
花房 そうなんです。ちょうど京大の点訳サークルがマンガ点訳っていうのされてて、それがこんな感じの書き方だったんですね。それがすごく読みやすかったので、意識的にまねしたわけじゃないんですけど、そこから着想を得たのはあります。
辻井 なるほどなるほど。マンガって考えると、会話ベースで進んでいくこととか、会話文のカギ括弧の前に必ず登場人物の名前があるとか、擬態語や擬音語がたくさん出てくるのも納得です。なるほどなぁ。これを実写にするとおもしろそうですね。
花房 そうですね。二次創作は大歓迎です。

9 物語を通して、4年間を通して、伝えたいこと
辻井 もう一つ気になっていたのが、これは花房さんご自身の話ではないわけですよね。自分の話を書こうとは思わなかったんですか?つまり、創作した理由が何かあるのかなと思って。
花房 そこまで深くは考えてないんですけど、今考えると創作じゃないと描けないこともあったなと思います。特に後半部分は、恋愛や将来に対する心の葛藤を少し書いてて、自分を主人公にすると照れくさくて書きにくかったり、ちょっとかっこよく書いてしまったりもするから、そんなことを考えずに書けたっていうのはありました。
辻井 それはすごい大事な気がする。自分のことになると、言い切れないとか知ってほしくないことって、やっぱり人間だからあるわけじゃないですか。でも物語にして自分と切り離されたことで、障害のことも率直に書けたのかなって思いました。
花房 そうですね。自分を主人公にすると言えないことを代わりに言ってくれてる部分はやっぱりあったと思います。
あと、ぼくが書いてるから当然と言えば当然なんですけど、読み返してて妙に登場人物のセリフに共感してしまうことがあって。ぼくのなかではすでに別人格になってるから、不思議な感じでした。
辻井 もし何か主人公に言葉をかけるとしたら、どんな言葉をかけたいですか?
花房 主人公は保育士になるっていう目標をもっていたので、その夢に向かって頑張ってって、応援してますって言いたいです。妹をみてるような、娘をみてるような、半分そんな気持ちもあったので。誰やねんて感じですけど(笑)。
辻井 いいですね。私も応援したいです。
最後に、読者へのメッセージとか、これから大学に進学してくる後輩のみなさんへのメッセージがあれば、ぜひお願いします。
花房 ぼくのなかではこういう想いで書いたというのもあるんですけど、一つの物語として純粋に楽しんでほしいなって思います。
あと、後輩のみなさんへかー……。そうですね、進むか進まないか、動くか動かないか、たぶんこれから迷うことがすごいたくさんあると思います。ぼくも実際そういう場面がたくさんあって、それこそさっき言った海外に行くプログラムに参加するのもそうですし、アルバイトしてみるっていうのもそうですけど、その都度迷うことってたくさん訪れると思います。小さいことで言ったら、ちょっとあの人に声かけようか、かけないでおこうかとか。
で、迷ったときに、動く方とか進む方を意識的に選んでいくと、世界って広がっていくんだってすごく思ってて。たからそういうきっかけをどっかでみつけてほしいなっていうことを一番伝えたいです。
そのきっかけがあって広がり出すと、本当にいろんなことができるし、楽しいこともある。その分大変なこともあるけど、成長できる。
そこで特に障害もってたりすると、さっきの話にも出てきましたけど、周りからブレーキかけられちゃうこともあるんです。けど、それで迷ったときにやめる方の選択肢や諦める方の選択肢を取ることに慣れてしまうと、なかなか人生楽しめなくなってくるような気がする。できれば動きのある方を選んでみてほしいなって思います。
いろんなところに飛び込んでみて、困ったり大変なことになったら、助けてくれる人や相談乗ってくれる人ってたくさんいるので。そこは思い切って踏み出してほしいなって思いますね。