ひと呼吸 Extra Edition P1 Introduction 高等教育アクセシビリティプラットフォームが発行する冊子『ひと呼吸』は、2019年から2023年までの4年間で15号を発行してきました。 その特徴を一言で言うと、障害学生支援を「する側」に焦点をあてたこと。直接の支援者だけでなく、広くこの領域に関わる人を対象にインタビューを行ってきました。 編集委員のあいだでは、このインタビューとそこで話された内容を記事にする一連のプロセスを、「ひと呼吸する」という言い方で表現していました。そしていつしか、もっとたくさんの人にひと呼吸してもらいたいと思い始め、今回のイベント「『ひと呼吸』プロジェクト・スピンオフ企画 障害のある学⽣の⽀援を考える ――専⾨職の姿を問い、『育てる』ことを探求する(以下、本イベント)」を行うことにしたのです。 これまでのインタビューを通じて私たちは、同じ支援に関わる人に話を聞くことが、とても重要な意味を持っていると感じてきました。障害学生支援について語られる時はまさに障害学生支援が言語化される時で、ともすれば日常の中で流れていってしまう支援に輪郭を与えるような試みでした。 2023年12月8日に開催した本イベントでは、3時間以上にわたり多くのことが話されました。この『ひと呼吸 Extra Edition』には、その日のことが記されています。全てを書くことは到底できませんが、当日話されたことの一部を紹介しています。前半はレポートという形で、後半はその日参加した一編集委員の視点で書いています。 これまでも『ひと呼吸』は、障害学生支援に携わる一人ひとりに焦点をあて、そこで語られたことに読者が、共感する点や相違点を見つけ、また別の障害学生支援を描いていってもらいたいと考えていました。本紙を読んで、それぞれに感じた重なりや異なりを、またお聞かせいただけると幸いです。 P2 Report_Part.1 イベント概要 『ひと呼吸』プロジェクト・スピンオフ企画 障害のある学⽣の⽀援を考える ――専⾨職の姿を問い、「育てる」ことを探求する 2023年12⽉8⽇(⾦)13:30–17:00 京都⼤学 国際科学イノベーション棟 第1部/トークセッション『ひと呼吸』の「ひと」に問う 第2部/パネルセッション『ひと呼吸』の「ひと」と出会う 第3部/フロアディスカッション「ひと(⾃分)」が育つ、「ひと(他者)」を育てる *文中に(#)で記している番号は『ひと呼吸』バックナンバーの号数です。 (校正者注:写真 入口からHEAPのバナーと第2部パネルセッションの会場) 2023年12月8日、京都大学国際科学イノベーション棟で「『ひと呼吸』プロジェクト・スピンオフ企画」が開かれた。この日の要となったトークセッションは、これまで『ひと呼吸』の紙面に登場した人のうち14人が3〜4人ずつ登壇し、参加者から事前に寄せられた質問に答えていく形で進められた。アイスブレイクなし、余談なし、聞く側も休んでいる暇なしでセッションはどんどん進んでいく。 トップバッターのポットAには、酒井春奈#5さん(立命館大学)、日下部貴史#7さん(富山大学)、森麻友子#8さん(和歌山大学)、楠敬太#9さん(大阪大学)の4人が登場した。ちなみに、このグループ分けはあらかじめ抽選形式で行われている。 P3 最初の質問は、「この仕事を始めた頃と現在とで変わったことはありますか?」というものだった。登壇した4人はみな、障害者差別解消法の施行年である2016年以前にこの職に就いている。 当時、周りに理解してくれる人はほとんどいなかった。マニュアルもなく、何をすれば良いのかわからないところから全てが始まった。 森さんは、臨床心理士として学生のカウンセリングをするところからスタートしている。当初は、支援者対学生という個人の関係に重きを置いて支援をしていたと振り返った。しかし相手は学生個人だけでなく、教職員や学内委員会などの組織でもあることが徐々にわかっていき、大学というコミュニティに働きかけることが大切だと考えるようになった。 障害者差別解消法の施行により、差別的取り扱いの禁止や合理的配慮の提供が全ての教職員に求められた。何か困ったことが起きた時、支援者だけが対応するのではない。組織として、大学の構成員全てに対応が求められたのだ。 しかし、組織的な体制整備が進んでいく一方、形式や手順が重視され、柔軟で小回りのきいた対応が難しくなっていくように感じられた。 楠さんは、「配慮、配慮、配慮ってやっていくんじゃなくて、柔軟に、ゆるくやっていけるぐらいがいいんじゃないかと今は思っています」と話した。そこには「普通のことを普通にやるだけ」という揺るぎない思いがある。「授業料を払って普通に学べるって、当たり前のことじゃないですか」と楠さんは言う。 次の質問は、「障害学⽣⽀援の専⾨性ってなんでしょうか?」というものだった。 参加者への事前アンケートには、専門性について問うものが多かった。トークセッション後の取材でも、この疑問を口にした参加 P4 者は少なくない。 すごく難しい質問ですと言いながら酒井さんは、専門性は長い時間をかけて多くの人が関わる中で徐々に築かれていくものだと思うと話した。 日下部さんは、高等教育機関における支援という点が重要なポイントになるのではないかと話す。小中高の段階と大きく異なるのは、青年期の支援であること。合理的配慮の内容を話し合う時も、学生との距離感が非常に重要になる。支援者はどこまでやるのか、あるいはやらないのかということも含め、学生の主体性や意志を尊重して、適度な距離をはかりながら関わらなければならない。そうした距離感を意識しながら学生との対話を重ねていくことも、専門性の一つと言えるのではないかと話した。 (校正者注:写真 ポットAの日下部貴史さんがマイクをもって壇上で話す) 続くポットBには、白澤麻弓#4さん(筑波技術大学)、藤原隆宏#6さん(関西大学)、Peter Bernick#11さん(長崎大学)、堀田亮#12さん(岐阜大学)の4人が登壇した。 はじめに投げかけられた「今、自分の『ひと呼吸』を読んでみてどう思いますか?⾔い⾜りないことや考え⽅が変わったことはあり P5 ますか?」という質問に、白澤さんは、「全ての大学に情報保障がついて初めて聴覚障害学生支援はスタートラインに立つ」と書かれた自身の号を読んで、あらためてその通りだと思ったと話した。 今、全ての大学で聞こえない学生たちが本当にやりたい勉強ができ、周りの学生と対等に授業に参加できているかというとまだまだで、これからどれだけ質を高めていけるかは、われわれの腕次第だとフロアに投げかけた。 これに関連する質問が次に続く。「障害学⽣⽀援の⽬指すべき到達点はなんでしょうか?」 「われわれが暇になって、もしかして仕事にあぶれるのが目指すべきところかな」と言ったのは、藤原さんだった。 続けてBernickさんも、「我々の仕事がなくなるためには、そもそも授業設計や大学の施設整備の段階で、誰でも参加できる状態が目指されるべき」と言い、続けて「支援部署や大学だけでなく、学生にも目指すべき状態がある」と話した。 学生には、自主性や主体性が求められる。だがそれらは、小中高の段階から育まれなければならないもの。大学生になったからといって身につくものではない。そうであるなら、大学に入る前の段階から、障害のある学生の学びを保障する取り組みが始まっているべきだと話す。 同様に藤原さんも、学びを保障するための環境整備が、大学から小中高へ波及していくと良いのではないかと話した。 普段、大学カウンセラーとして働く堀田さんは、自身の立場から、障害学生支援がもっと社会的な議論の対象になってもいいのではと話す。例えば、カウンセラーが主人公のテレビドラマや映画はあるが、障害学生支援のコーディネーターが取り上げられたものは見たことがない。支援者がもう少しメディアなどで取り上げられれば、支援や支援者に関する議論が活発化するのではないか。 P6 社会全体の関心事にならなければ、この領域は大きく変わっていかない。そのためには、もっと広く知られる工夫や方法を私たちは考えていく必要がありそうだ。 (校正者注:写真 ポットBの4人と司会の村田淳が壇上で話す) 後半に入り、ポットCの岡田孝和#1さん(明治学院大学)、近藤武夫#13さん(東京大学)、大村美保#14さん(筑波大学)の3人が登壇した。この中で、支援の現場で働くコーディネーターは岡田さんだけで、近藤さんと大村さんは、それぞれのフィールドで様々な実践を行う研究者である。 一つめの質問は、「理想的なコーディネーター像ってありますか?」というものだった。ここで、やや対照的な回答をしたのが岡田さんと近藤さんだった。二人には、アメリカで障害学生支援を学んだという共通点がある。 岡田さんは、学生と大学の両方を支援できる人が理想のコーディネーターであると言った。アメリカに留学した際に聞いたゲートキーパーという言葉が、とても印象に残っているという。学生が不利益を被らないよう学生を守る存在であること、大学が学生から訴えられないよう門番となること。この両方が支援者には求められる P7 というものだった。 対して近藤さんは、ゲートキーパーとしての役割を日本で求めるのはまだ早いかもしれないと言う。近藤さんがアメリカの大学で目の当たりにしたのは、障害学生支援ディレクターの突然の解雇だった。大学の障害学生ユニオンが、障害学生支援を広げていないと訴えたのだ。 それでも近藤さんは、障害のある学生から訴えられないよう防衛的に動くのではなく、そうしたリスクがあることも理解した上で、組織の対応がおかしいと思えば支援者はそれを擁護せず、あくまでも学生のアドボケートに徹してほしいと話す。 その後、岡田さんと近藤さんが同じことを言った。それは、大学が障害のある学生に対して、徹底的に質の高い教育を保障すべきということだった。 岡田さんにとっても近藤さんにとっても、学生時代は忘れ難いものだった。聴覚障害のある岡田さんが大学に入学した時、学生生活の夢は三日で崩れた。4年間はあっという間に過ぎ去り、やりたいことが何もできないまま学生生活は終わった。自分がまともに受けられなかった高等教育には、憧れと、こうあってほしいという強い思いがあると語った。 一方、近藤さんも、大学に入り学ぶことが何かを知って、人生が変わった。大学での学びが重要な転機を与えたのだ。 高等教育機関での学びは、学生が大きく変わる転機を与え得る。障害があることを理由に、その機会が失われることは許されない。二人には、そうした強い思いがある。 最後に、大村さんが少し視点を変えて話をした。大村さんは、大学生だけでなく、小学生や中学生からも相談を受け、大学を卒業してからも関わり続けることがある。 そこで、一人の人が時間の経過とともに大きく変わっていく様を P8 見てきた。だから、支援者は目の前の学生が変わっていくと思って接することが大事ではないかと話す。 それを裏返せば、学生と関わることができるのは学生生活のおおよそ4年間という限られた期間で、支援者は常にその限界を意識しながら接する必要があるということだ。 トークセッションの最後のポットDには、残る3人の奥山俊博#2さん(東京大学)、土橋恵美子#10さん(同志社大学)、池谷航介#15さん(岡山大学)が登場した。 3人に投げかけられた質問は、「障害学⽣⽀援の仕事に就いたばかりの⼈に助⾔ができるとしたら、どのようなことを伝えたいですか?」というもので、答えは三者三様だった。 2002年に同志社大学のコーディネーターに着任した土橋さんは、20年以上支援者の育成に関わり、そこでやってきたある具体的な取り組みを紹介した。 それは、目標を達成するための取り組みで、マンダラートという3×3のマス目の表を使ったものだ。表の真ん中に、最も達成したい目標を書き、その周り8個のマス目に、その目標を達成するための具体的な行動を記す。 そこにはどんな小さなことを書いてもいい。土橋さんは、日々の小さな積み重ねが目標の達成につながり、変化を生み出すことを知っているからこそ、こうした取り組みを続けているのだ。 障害のある学生の役に立つことを目標にするのはおかしいと言ったのは、池谷さんだった。むしろわれわれに求められているのは、 支援者が助けないといけない状態をなくすこと。そのために日々の業務をやっていかなければならない。なぜなら、どうしてその支援 P9 が必要なのか、どういった社会の構造がそうした事態を引き起こしているのかを考えなければ、いつまで経っても状況は変わっていかないからだ。ただ目の前の学生を見るだけでなく、その状況を俯瞰的に見つめる冷静な目が求められている。 奥山さんは、自身に障害があることから、特に同じような障害のある学生に自分の言葉が強く入り過ぎてしまうことがあると話す。同じく支援者も、相手に大きな影響を与え得ることを自覚しなければならないと言い、あるエピソードを紹介した。 奥山さんが近藤さんたちとともに続けているDO-IT Japanという、障害や病気のある若者の進学とその後の移行支援を通して、インクルーシブな社会の実現を目指すプロジェクトがある。そこである生徒が、自分ではじめてSuicaを登録する時、アテンダントとして参加する大学生が自分のやろうとするのを待っていてくれたのがとても嬉しかったと感想文に書いた。うまくいかず、時間もかかったが、それでも待ってもらえたことがその生徒の記憶に強く残った。 奥山さんは、待つこと一つとっても相手に大きな影響を与え得る。だから、支援者が助けたいと思ったり手助けしたくなっても、必要とされるまで見守り、ときに何もしないという支援も含めて、学生の主体性や意志を尊重することが大切だと語った。 ここで1時間半のトークセッションが終わった。その後、会場外のホワイエで休憩をとりながら、パネルセッションが行われた。その後もう一度先の会場に戻り、第3部のフロアディスカッションが始まった。 司会を務めていたひと呼吸編集委員長の村田淳が、私たちが支援をする上でどういった力を高めていく必要があるかをフロアのみん P10 なと考えたいと投げかけた。 ある参加者がその投げかけに応じ、体験談を話し始めた。関わっている中学校に、発達障害の診断のある生徒がいた。その子に対してあるクラスメイトが、「あの子はたぶんそういうのがあると思うから、あるならあると言ってほしい。そうしたら何かできるのに」と担任に訴えた。それを聞いたその参加者は、すごくモヤモヤしたという。 それに対して、奥山さんがこんな返答をした。 「障害のある人たちの困難さを解決するには、ある種のセンスがいると思っています。それは相手の困難さを想像したり、解決策を柔軟に見出す力といったものです。どういう考えで物事を解決していくのか、その解決策は一つのステレオタイプからは生まれてこないので、いろいろな見方を知る機会があると良いと思います」。 障害の知識や情報がなくても、障害のある人が困っていればそのことに気付き、柔軟な思考で解決策を見出していく力。そうしたものは、どうやって身につけられるのか。 ここで村田が、そうした「人」をどう育てるかを最後に考えたいと言った。障害のある学生の学びの環境を整えるのも、周りの教職員にその必要性を伝えていくのも「人」だ。その役割を担うコーディネーターという「人」をどう育てていくか。 呼応するように、白澤さんが発言した。 「良いコーディネーターって何だろう、障害学生支援はどこに向かっていかなきゃいけないんだろうって、おそらくみんな一人ひとり考えていると思うんです。その一人ひとりの話を聞くことが、一番のエンパワーメントになるんじゃないかって思ったんです。そう考えた時に、ここにいる人全員の『ひと呼吸』をつくればいいんだってわかったんです」。 続くように、岡田さんも「全員の『ひと呼吸』が必要だと思いま P11 す」と言った。さらにフロアからも、学生の頃、聴覚障害者の集まりに参加していた経験から、「ピアサポートという言葉がありますが、コーディネーター同士で意見を交換し合い、同じ立場で話し合うことができたら良いなと思います」と発言があった。 最後に近藤さんが、知識や枠組みをつくり、障害学生支援のスタンダードを築き上げていくことは不可欠だが、知識や枠組みだけが先走ってしまうと、パッションの部分がおいていかれてしまう。今日会場で話されたことは、いかにパッションを自分の中に持ち、みんなで共有していくかということだったと話した。 知識や枠組みと違い、パッションと呼ばれるような部分は言葉にし難い。しかし、この日参加していた誰もが、それぞれの現場で疑問を感じ、モヤモヤしながら日々仕事を続けている。そうした疑問やモヤモヤの中に、現状を変えていく力やヒントが隠れているかもしれない。それがおそらく、パッションを持ち続ける原動力にもなる。 近藤さんは、知識や体系的な枠組みをつくっていくのと同時に、一人ひとりがパッションを持ち続けられるよう、周りのパッションに触れる機会をこれからも一緒につくっていこうとフロアに呼びかけた。 (校正者注:写真 第2部パネルセッションの会場で参加者がそれぞれ話をしている) P12 (校正者注:写真 冊子『ひと呼吸』のバックナンバーを手にとる参加者の手) Report_Part.2 何者でもない私たち トークセッション中、わずか数分という短い時間に、登壇者は大切なことをめいっぱい詰め込んで話した。おそらく、自身の中で何度も繰り返された問いなのだろう。答えはないし迷ってもいる。けれども今はこう考えているというのが銘々に話される。同じように聞いていた他の参加者はどんなふうに思っただろうか。トークセッションが終わった後、参加者に話を聞いてみた。 話を聞いたその人は、前職で他の仕事をしていて、3年前にこの仕事に就いたと話した。もともと障害学生支援をやりたいと思っていたわけでなく、当初はカウンセリングの仕事と思ってこの仕事に就いた。 そもそも採用の条件が大学によって異なることが不思議だった。臨床心理士や公認心理師の資格を求められることもあれば、修士号が必要だったり、必要なかったり。福祉、教育、心理、医療などの P13 近接領域では、それを専門に学ぶ学校や課程があるが、障害学生支援のコーディネーターは、福祉職でも心理職でもない。この何者でもない状態に耐えることが、得意ではないと話した。だが、参加していろいろな人の話を聞き、ここにいる人たちがみな何者でもない状態を引き受けこの仕事を続けてきたのだと思い、少し楽になったと言った。 この何者でもないという言葉の裏には、専門性という言葉があるのだろう。しかし、障害に関わる専門性をめぐっては、少し複雑な過去がある。 「専門性」を言えない/言わない理由 1960年代以降、専門家によるこれまでの障害者への働きかけが抑圧的であったことを訴える運動や語りが、各国で始まった。2006年に採択された国連の障害者の権利に関する条約のスローガンも“Nothing about us without us”(自分たちのことは自分たちで決める)である。背景には、「〈障害〉を持つ障害者たちの『語り』ではなく、彼らを援助することの権限を与えられてきた専門家たちの語り』が〈障害〉という現実を構成する支配力」※を持っていたことへの気付きと反省があった。 今もそうした状況がすっきりなくなったとは言えず、障害学生支援のコーディネーターが募集される際も、障害に関する何らかの資格の保持が条件に課されることが多い。まだ定まっていない専門性についていろいろなことが言われ、求められる。では仮に、障害のある学生の学びを保障するのに専門性がいるとして、その専門性とはいったいどのようなものか。 P14 スムーズな支援の落とし穴 どんな仕事でもそれを繰り返し続けていると、方法や使う道具、概念が改良され、ますます純度が高められる。ある方法に慣れ、その見方に親しんでいくと、それが唯一のものであるかのようにして周りにも説得力を持ち始める。 支援においても、限られた資源でなるべく早く理想の状態に到達するためには、知識やノウハウが必要になってくる。そして実際長年続けていると、経験的にそうした知識やノウハウは身につく。 トークセッションで楠敬太さんは、コーディネーター歴が長くなるにつれ、支援をスムーズに提供できるようになったと話す。しかし同時に、学生に言うようにしていることがあるとも言った。 「僕は経験が長いので、合理的配慮をスムーズに提供できると思う。けど、本当に大切なのは、どういった選択肢があるかを一緒に考えたり試行錯誤するプロセスの方で、僕はそこをすっ飛ばしてやってしまう可能性があるから、何か違うなと思ったら言ってほしい」。 障害のある学生に合理的配慮を提供する時、支援者がこれまでの経験や知識を総動員して解決策をズバッと示したり、周りの教職員に対し説得力をもって説明できるなら、調整のための時間は省略で (校正者注:写真 ポットAの森麻友子さん、楠敬太さん、司会の村田淳さんが壇上で話す) P15 きるかもしれない。学生が、その省略された時間を勉強や友人たちとの時間にあてられるのなら、その方が良いと思える。だが一方でその学生は、自分の周りで何が起こっているのか、どんなふうに誰が動いているのか知りようもない状況に置かれることになる。 壁はある トークセッションで理想のコーディネーター像を尋ねられた岡田孝和さんがゲートキーパーの話P.7をした後、もう一つあると言って、「適切な負荷を学生にかけられる人」と付け加えた。 すごく乱暴な言い方かもしれませんが、と断りを入れた後、岡田さんは、自分が学生だった頃に比べれば、大学が障害のある学生に支援を行うのが当たり前になったと話した。昔と比べて今は、自分の手足や頭を使って試行錯誤することが少なくなり、就職活動の段階になってようやく壁にぶつかることが増えたという。 大学では、さすがに正面切って受験を拒否されるようなことはなくなった。岡田さんが学生だった頃に比べると、状況は改善された。しかし、大学の中に壁がなくなったわけではない。人々の無意識や思い込みからも壁は生み出される。それは小さくて見えにくいかもしれないが、あらゆるところに壁は存在し得る。それに、どんなに小さな壁であったとしても、当事者にとっては壁である。その壁の前で、乗り越えるのか迂回するのか考えないといけない。支援者はその時、その壁を除去しようとするかもしれない。けれども決して、その壁をなかったことにしてはいけない。 「適切に負荷をかける」という言い方で岡田さんが言おうとしたのは、そういうことではないか。支援者が間に入って壁を見えなくしたり、うまくやり過ごせるよう器用に立ち回るのではなく、その P16 壁を壁のままに学生に示して見せることが大事だと言ったのではないか。なぜなら学生は、大学を卒業する頃、障害に対して理解がなく、合理的配慮の提供を簡単には受けられない社会と出会う。その時、自分にかわって動いてくれる人はいないのだ。 岡田さんと同じグループで壇上で話した近藤武夫さんも、その壁の前で踏みとどまってほしいと言った。コーディネーターには、一緒に権利保障の声をあげてほしいし、学生のいちばん身近なアドボケートになってほしい。それが「理想のコーディネーター」だ――。 支援者の存在 わかってくれそうもない教職員を前にすれば、合理的配慮を頼むことを避けて、その相手に負荷をかけないあり方を模索したくなる。学生が滞りなく学べるように、支援者が奔走するのだ。しかしそれは、障害をネガティブなものと捉え、障害を取り除く負担はこちら側が負うと言っているようなものである。それでもその場が丸く収まれば、支援者にとっても都合が良い。わかってもらえない相手に合理的配慮の必要性を説いたり、支援を続けていくことは、非常に骨の折れる大変な作業だからだ。 しかし、私たちにはいつだって立ち返るべき地点がある。それは、障害のある学生の立場で考えてみることだ。 20年前、土橋恵美子さんがこの仕事に就いた時、聴覚障害のある学生が手話通訳を大学に頼んできた。しかし大学側は当然のように難しいと返答する。その時、その学生が言った言葉を土橋さんは鮮明に覚えている。「ただ、勉強がしたいだけなんです」。 楠さんの言葉を借りれば、大学は、全ての学生が学べるよう普通 P17 のことを普通にやるだけで良いのだ。しかしその普通が、時によって、場所によって、人によって、大きく異なる。 そうした偏りを是正するために、何が普通かを明らかにして示すような取り組みが、近藤さんがディレクターを務める「障害と高等教育に関するプラットフォーム事業(PHED)」などで行われてきた。こうした体系的な枠組みの構築と同時に、個々の場面で、支援者がどう学生と向き合っていくかも問われている。 一人の学生の長い人生に、私たち支援者の行いがどのような影響を与え得るのか。奥山俊博さんが話した「待つこと一つとっても相手に大きな影響を与え得る」というのは、まさに支援者が、どんな立ち振る舞いをするか、たとえ何もしないとしても、支援者の行動の一つひとつが、青年期という大切な時期にある学生への何らかのメッセージとなり得ることを伝えていた。またそれは学生だけでなく、その場にいる教職員に対しても同じだ。私たちは何者でもないかもしれないが、無色透明な存在でもない。 会の終盤に村田淳さんが、星加良司さんの話を紹介した。 「障害学生支援の担当者に何を求めたいかという話をした時、星加さんがあっさり『バリアに敏感な人』と言われ、その通りだと思いました」。 一人の学生が壁を前に立ちすくんでいる時、それがどのような壁として立ちはだかっているかを支援者が想像するのは容易ではない。知識や経験だけで壁の高さや形状を特定しようとすれば、学生が見ている現実とは大きく違ったものを見てしまう。 その壁を除去するのか別の方策をとるのか、はじめて壁を前にした学生と同じ目線で考えなければいけない。たとえまわりくどく思えたとしても、そこに近道は存在せず、その面倒さを省いてしまうとバリアは簡単に見落とされ、なかったことになってしまう。 P18 ひと呼吸しよう 取材が終わり、この日のことを考えていた。どんな一日だったかと聞かれれば、20年や30年という長い年月、障害学生支援に携わってきた先輩たちが一堂に会し、その先輩たちの胸をかしてもらえる場であったと答えるだろう。 話を聞いていた参加者の多くが、その日学んだことはたくさんあっても、それをこれからどういかすのか、自分はこの先どうしていけばいいのかわからないと話していた。でもそれは、登壇した人たちも同じだ。みんな迷い、悩みながら続けてきた。 会の最中、村田さんが言ったのは、「仲間を作りたい」ということだった。仲良くできる仲間という意味ではない。村田さんがこの仕事に就いた16年前は仲間がいなかった。そして16年間やってきて見えてきたことは、自分の限界だった。 大学を変えたい、社会を変えたい、けれども一人ではできない。だから、少しでも仲間を増やし、みんなで課題を共有してやっていくしかないという思いで、この『ひと呼吸』をやってきたと話した。 たまにはひと呼吸してみるのがいいと、あらためて思った。それぞれの支援者がそれぞれに悩みを抱えながらも、同じ仕事をする他の支援者の胸をかりて、大学の垣根を越えて、学生たちの権利保障を実現していくにはどうすれば良いのか、自分のやり方は間違っていないか、大事なことを見落としていないか、互いに問いかけ、耳を傾けてみるのだ。 ※星加良司「当事者性の(不)可能性――ディスアビリティ・スタディーズの 存在理由」『〈支援〉の社会学 現場に向き合う思考』(青弓社、2008) 文=木谷恵・きたにめぐみ(フリーライター) P19 (校正者注:写真 イベント終了後の懇親会で参加者同士が食事をしながら話す) (校正者注:写真 入口から入る参加者と出迎えるHEAPのスタッフ) P20 アーカイブ:「ひと呼吸」する空間 ひと呼吸」編集委員長/村田淳 16年前の2007年12月。何かの巡り合わせでこの分野に足を踏み入れた。 外から見る大学はそれなりに整っていて、舗装されて、収まりの良い場所に思えた。だが、どうも違うらしい。自由で革新的であるはずの場に身を置くためには、平均的で多数派であるという条件が課されている。そんな皮肉さえ浮かんだ。なるほどそうか。どうやらこの仕事はやりがいがありそうだ。 時間が進むにつれ、この分野の情報も積み上がっていった。新しい知識や情報、それらしいノウハウ。ただ、日々の仕事はなかなか難しいという状況に変わりはないし、学生との関わりはいつも一からのスタートだ。 支援に携わる自分たちに必要なものは何か。確実な答えを見つける必要があるかどうかもわからないが、それを考えてみることは大切だと思った。 これが「ひと呼吸」を始めた理由……というより、自分たちに必要なものを考えるためには、「ひと呼吸」のような試みが必要だと思った。 少なくとも現時点においては、体系的に学んだり、情報を得たりすることでこの分野の「人」を描けるわけではない。だからこそ、いろいろな「人」が大切にしていることや考えを知ろうと思った。 遠回りかもしれないが、この分野に携わる人が何を考えて、何を大切にして、そして、それがどのように形づくられてきたのかを P21 辿ってみたい。しかも、「人」の思考や実践は、案外日々の息づかいや率直な反応から導かれるものだ。だから、そういうものを聞き出したいと思った。 それらを一つの答えではなく、モザイク状に並べていく。すると、何か見えてくるかもしれない。これが「ひと呼吸」の役割になっていった。 インタビューを重ね、それなりに並び始めた「ひと呼吸」の紙面。15号が出たタイミングで、当初考えた「ひと呼吸」の役割や意義を多くの人たちと確認してみたいと思った。そしてこの思いが一つの企画となった。 その場で起きたことを全て伝えることは難しいし、絶対的なものではないからこそ、全てを伝えきる必要はないだろう。ただ、この出来事をこの分野の記憶の一部にとどめることも、この「ひと呼吸」の役割であるように思う。 一つひとつはバラバラなモザイクでも、拡がれば拡がるほど、それは多種多様な色で構成された一枚の絵となる。 「ひと呼吸」がそうであるように、私たちが大学や社会の有り様として求める姿もまた、同じなのかもしれない。 村田淳・むらたじゅん 京都大学 学生総合支援機構 准教授/DRC(障害学生支援部門)チーフコーディネーター、HEAP(高等教育アクセシビリティプラットフォーム)ディレクター P22 Buck Number (校正者注:#1〜#15のバックナンバー表紙絵は省略) P23 #1 岡田孝和 明治学院大学 学生サポートセンター 障がい学生支援コーディネーター Interviewer, Text:村田淳 2019.1 #2 奥山俊博 東京大学 先端科学技術研究センター人間支援工学分野 Interviewer:村田淳 Text:木谷恵 2019.1 #3 五味洋一 群馬大学 教育・学生支援機構学生センター 副センター長/障害学生支援室長 Interviewer, Text:宮谷祐史 2019.2 #4 白澤麻弓 筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター 准教授 Interviewer, Text:舩越高樹 2019.3 #5 酒井春奈 立命館大学 障害学生支援室 支援コーディネーター(社会福祉士) Interviewer, Text:木谷恵 2019.6 #6 藤原隆宏 関西大学 学生相談・支援センター コーディネーター(社会福祉士) Interviewer, Text:宮谷祐史 2019.9 #7 日下部貴史 富山大学 教育・学生支援機構学生支援センター アクセシビリティコミュニケーション支援室 コーディネーター(特別支援教育士) Interviewer, Text:村田淳 2019.12 #8 森麻友子 和歌山大学 障がい学生支援部門(キャンパスライフサポートルーム) 講師(臨床心理士・公認心理師) Interviewer, Text:舩越高樹 2020.2 #9 楠敬太 大阪大学 キャンパスライフ健康支援センター 相談支援部門 特任研究員 Interviewer, Text:木谷恵 2020.3 #10 土橋恵美子 同志社大学 学生支援センター スチューデントダイバーシティ・アクセシビリティ支援室 チーフコーディネーター・手話通訳者 Interviewer:舩越高樹 Text:木谷恵 2022.1 #11 Peter Bernick 長崎大学 障がい学生支援室 助教(clinical social worker) Interviewer:村田淳 Text:木谷恵 2022.2 #12 堀田亮 岐阜大学 保健管理センター  助教(臨床心理士・大学カウンセラー・公認心理師) Interviewer:宮谷祐史 Text:木谷恵 2022.3 #13 近藤武夫 東京大学 先端科学技術研究センター 教授 Interviewer:舩越高樹 Text:木谷恵 2022.12 #14 大村美保 筑波大学人間系 助教 Interviewer:村田淳 Text:木谷恵 2023.2 #15 池谷航介 岡山大学教育推進機構 准教授 Interviewer:宮谷祐史 Text:木谷恵 2023.3 *所属・肩書きはすべて発行時のものです。 P24 ひと呼吸・編集委員会/村田淳、舩越高樹、宮谷祐史、木谷恵 バックナンバーはすべてWeb上でご覧いただけます。 https://www.assdr.kyoto-u.ac.jp/heap/hito-kokyu/ ひと呼吸 Extra Edition 2024年3月31日発行 発行者 = 村田淳 編集・執筆 = 木谷恵 発行所=HEAP(高等教育アクセシビリティプラットフォーム) 京都市左京区吉田本町京都大学学生総合支援機構内 Mail heap@mail2.adm.kyoto-u.ac.jp Tel 075-753-5707 https://www.assdr.kyoto-u.ac.jp/heap/