March, 2023 #15 Iketani Kosuke Interviewer Miyatani Masashi/Text Kitani Megumi 万事68点 池谷 はじめに、僕は生まれてこのかた一度も何かのプレイヤーと思ったことがないんです。 宮谷 どういうことですか? 池谷 いわゆるプロとか専門家と言い換えたらいいのかな。自分が何かの専門家と思ったことがないの。 宮谷 意外です。池谷さんは何にでもこだわりがあって、さらに突き進む人だとも思ってました。 池谷 いや、違うんだよな。すべてのことにおいて68点ぐらいが僕の限界で、そこまでしか到達できないんですよ。 宮谷 68点というのはどういうラインなんでしょうか……。 池谷 マラソンで例えると、僕のフルマラソンのベストタイムってだいたい3時間25分で、それがまさに68点なんです。マラソンをしていない人からすると、そこそこという話になりそうだけれど、やってる人からするとごく平凡なタイムです。それが68点のライン。 宮谷 それは仕事でも趣味でもですか? 池谷 そう。それ以上は意欲も続かないし無理だと思ってる。だから手広くやっていますが、何についても「専門家」には程遠いんですね。けれども、現時点での障害学生支援という職業では、手広く68点という人がいてもいいかなと思っています。 宮谷 いきなり結論的な話になりましたね(笑)。 68点という話を理解するためにも、池谷さんのこれまでの経歴だけでなく、趣味の話なんかも聞いていかないといけない気がします。まずは順を追って、はじめの職場は小学校ですよね。 池谷 そうです。小学校教員を13年間務めました。配属された2校目がたまたま特別支援教育のセンター校的なところでした。具体的には、難聴学級を設置していて、通級指導の教室もあったし、院内学級や知的障害の特別支援学級もあって、そこに6年間いました。 宮谷 そのあと大学にいかれるんですよね。 池谷 県からの派遣というかたちで、お給料をもらいながら大阪教育大学の特殊教育特別専攻科で1年間学びました。でもその後、ほどなくして小学校教員を辞めてしまうんです。 宮谷 ご家庭もあって、お子さんもいて……。 池谷 僕が受けた頃の教員採用試験は倍率が30〜40倍あったので、せっかく受かったのに辞めなくてもいいじゃないかって周りに言われました。でも、自分としてはもうこれ以上は続けられないという感覚があったんですね。 宮谷 すでに小学校教員として68点に達しているという感覚があった。 池谷 もう無理だなって。一度そう思うと、とんでもなくモチベーションが下がっていくのが自分でもわかるんです。これで子どもたちの前に立ち続けていてはいけないって。 宮谷 そのあとはどうされるんですか。 池谷 1年間の充電期間を経て、母校の大阪教育大学へ大学院生として戻ります。修了後1年間、大阪教育大学附属特別支援学校に任期付き教諭としてお世話になっていた時に、「障がい学生修学支援ルーム」の教員を探しているから応募してみないかと、指導教員だった井坂行男先生(注1)に声をかけられました。 宮谷 井坂先生は僕の指導教員でもあって、そのあと僕も支援ルームに関係していきますね。その時池谷さんは障害学生支援を特にやりたいと思っていたわけではなく、たまたまだったわけですか。 池谷 そうだね。新しいことなら何でもよくて、たまたまではあったけれども、根底には世の中の不均衡、不平等が気に入らないといった感覚がずっとあった。障害に限らず、世の中に横たわっている差別意識には課題を感じていました。 いろいろやってみたくなる 宮谷 支援職に就かれたのは2014年頃ですよね。その頃はどういった感じだったんですか。 池谷 2年後に差別解消法が施行されますが、まだまだ整備を進めていく段階で、その頃が一番楽しかったよね。 宮谷 楽しかったんですか? 池谷 そうです。僕は自分のことBSだと思っていて。 宮谷 BS? 池谷 “Building Specialist”です…… 宮谷 はじめて聞く言葉です(笑)。 池谷 立ち上げ屋っていうイメージかな。何もないところで土を掘って、基礎づくりをして、それだけじゃなく、昼飯もつくるし洗い物もする。種も蒔けば、水もやる。必要だと思えば何でもやる。そういうことを考えてゼロからやっている時が一番いきいきしてるんです。 宮谷 でもそれがいったんルーティン化すると…… 池谷 途端にやりたくなくなる。冗談じゃなく、本当にすべてが色あせていくんです。趣味でも同じ。子どもの頃からハードロックやプログレッシブロックが好きで、高校生になると神戸の元町にある中古レコード屋に足しげく通っていました。でも一つのジャンルを追求していくことにはならなくて、民族音楽からクラシック音楽まで、いろいろな音楽が聴きたくなる。アウトドアの趣味も一緒で、走りもするしマウンテンバイクも乗るし、カヤックもする。一つのことにかかりっきりということにはどうしてもならない。 宮谷 あえてそうしているのではなく、そうなってしまう。 池谷 もともと小学校の教員を選んだのも、全教科に携われるってことは何かだけに限定しなくて済むと思ったから。学部時代の専攻にも、国語や理科といったいわゆる専門というのがありませんでした。自分の性格がわかっていたので。 宮谷 そうだったんですね。とはいえ、68点というのは絶妙ですね。決して浅くはないと思います。 池谷 けれども全くプロでもない。ただ、68点のラインにいくと、その領域のプロの人が話す言葉をだいたい理解できるし、自分の言葉でもある程度は説明できるようになります。ルールがわかっている素人と言ったらいいかな。 専門性はどこまで必要か 宮谷 先ほど現時点での障害学生支援という職業においては、様々なことにおいて68点であることも大事とおっしゃいましたが、様々な障害種別や支援方法がある中で、いずれもオールマイティに一定程度理解し、こなせる必要があるという意味でしょうか。 池谷 すべての障害種別の専門家になるのは難しいですよね。むしろ多様な学生がやってくる支援の現場では、それぞれの障害の専門性があるに越したことはありませんが、一人で全部をカバーするにはそもそも無理があります。というか無理です。 それよりも自分にわからないことがあれば、誰かしら専門家に尋ねれば教えてもらえる環境が整っている方が良いと思います。そう考えて、2014年に国立大学にいる障害学生支援担当者のメーリングリスト(注2)を数人で相談してつくりました。 当時はそこで対応要領の素案をどうするかとか、支援について相談したり意見交換をしたりしていました。そこで教えてもらったことをもとに、いかに目の前にいる学生に応対できるか。 宮谷 対学生といった場面では、専門家だから何でも知っているということよりも、素直に人に聞ける方がよっぽど大事ということですね。 池谷 もし自分が何かに特化した専門家ということになれば、自分の範疇を越えることには「わからない」と言うのがある種の誠実さになることもあります。学者という職業にはまさにそういうところがあって、わからないのにわかったふりをしないことが大事になってくる。 ただ、学生に助言をしないといけない場面では、わからないからといって放っておけないですよね。学生が路頭に迷わないようにある程度の見通しをもって、断定的に話すようにしています。でも実は頂上に立ってすべて見通して話しているわけではなく、68点のラインから見えていることを伝えているだけ。 宮谷 支援者に求められる対話のあり方として、いろいろな選択肢を提示して学生と一緒に迷ってみるという話をよく聞きます。でも池谷さんはそうではなく、一歩踏み込んで、断定的に話されるということですか。 池谷 もちろん必要と思えば選択肢を示すこともします。けれどもそれが有効でない時もありますよね。例えば学生が不利な状況にあるのに、本人がそれに気付かずただ困っているといった時なんかは、こちらが一歩踏み込んで状況をしっかり伝え、改善するように働きかけることもあります。その場の状況に応じて臨機応変に動くことが大事ということです。 宮谷 なるほど。こうでないといけないというのがあるわけではなく、学生の求めに応じて、68点のラインでできることをやっていると。少しずつわかってきた気がします。 大学の風土を変えていく 池谷 もう一つ付け加えると、障害のある学生への合理的配慮って、支援の専門家だけができるとか、すべきという話ではないですよね。むしろ学部の先生や職員が理解してできるならそれが一番良い。例えば学生との定期面談にしても、障害や支援の専門家だからってうまくいくとは限らない。話を聞くなんてことは、できるかできないかで言えば、誰もができるはずなんです。そういう意味での68点でもある。その気になれば誰にだって到達できますよ、というライン。 宮谷 だとしたら、僕たちの存在意義ってどういうところにあるんでしょうか。 池谷 将来的に大学内で専門性が必要になるのは、窓口の交通整理として、相談に来た学生の話を聞き、適切な部署に繋いだり外部の機関に紹介すること。あとは一部のテクニカルな部分だけで良いのではないかと思うんですよ。すべて専門職に任せるという発想ではなく、本来は誰にだってできることが大半ですから、少しでも障害への理解を一般化させて、僕らは徐々に縮小することを目指すといいますか。 宮谷 大学全体で関わってもらえるような働きかけを僕たちがしていくことも大事ですね。 池谷 そう思います。最終的には障害のある学生が障害学生支援室に来なくてもよくなるように、物理的な「室」なんてなくなって、ウェブサイトに掲載された相談フォームに相談するだけで十分な支援が受けられるような体制が構築されると良いなと思います。そのための理解・啓発の取り組みを積極的にやっています。 宮谷 具体的にはどういったことを伝えているのですか。 池谷 例えば社会不安のある学生がいるとして、個人モデルで捉えると、その学生の難しいところをどうにか解決していこうという発想になりがちだけれど、本当はその教室にいる全員が障害を生み出しているんだよという話をします。だから、周りが変われば障害が解消することもありえるという話をする。 宮谷 周りに多様性の価値が浸透し、その理解が一般化すれば、学生は支援室に来なくて済むかもしれませんよね。 池谷 それが理想だよね。そうして最終的には支援室が必要なくなるというのが一番良い。 宮谷 昔からそれを言い続けていますね。 僕たちの仕事って、意外とルーティンワークもあるなと感じていて、でも本来的には、社会や大学の風土を変えていくようなクリエイティブな仕事というのもあって、そこに労力をさけるような働き方ができれば良いなと思いました。 池谷 そうしていくしかないんじゃないかとも思います。 障害を理由として支援を希望する学生は年々増加しているけれど、支援者の数もそれにあわせて増やせるかというと、そうではない。となると、個別対応では支援の劣化が起こりかねません。大学に限ったことではありませんが、一対一の支援体制を強化していくのではなく、全体の風土を改善していくべきではないかと思っています。 宮谷 でも、大学を変えていくというのは大変なことですよね。 池谷 それはそうです。しかも社会が逆行しているようなところがありますからね。かつては通常の学級にいたような子たちが特別支援学級や学校にいくようになっている。社会モデルの考え方なんかも、本当なら、小中高の段階ですでに知っておくべきだと思うけれど、それが難しい状況がある。 宮谷 確かに日本の教育の世界では、個を大切にしようとよく言いますが、問題が起きた時には個々の問題として捉え、解決しようとする印象があります。そうではなく、もっと周りに働きかけていくということですね。 これからの障害学生支援 宮谷 今日のお話を聞いていて気になったことがあって、池谷さんはすでにこの障害学生支援の分野で68点のラインに来ているのかなって。それならそろそろ…… 池谷 そう、この仕事を始めてもうすぐ十年になるので、BSくらいしかできない僕の役目はそろそろ終わりかなと思うところが正直あります。 そんな僕が今考えているのは、次の世代の支援者たちがどう継続的にこの仕事をやっていけるかということですよ。 宮谷 まさに僕たちのことですね。 池谷 多くの大学が支援室を設置したり、支援担当者を置いたりするようになりました。 最終的には、障害学生支援の機能が、大学の備える本来機能に回収されていくことが望ましいと思いますけれど、そういったことが定着していくまでの間は、いざという時にはしっかり動けて、平時はその時のための準備をしたり、啓発活動をしたりしながら、業務を継続していく必要があります。けれども現状ではそれすら難しい状況があるよね。支援担当者たちは有期雇用があたりまえで、数年で交代してしまう。これでは良い人材が残らないので、一貫性を保ちにくくなります。 宮谷 うーん……厳しいものがありますね。 池谷 一つの大学でどうこうできる話ではなくて、現在のような黎明期ほど、国レベルでの体制づくりが必要だと以前から強く思っています。 宮谷 それは具体的にはどういったことですか。 池谷 2017年に文部科学省が開催した「障害のある学生の修学支援に関する検討会」(注3)から第二次まとめが出された時、新規事業として「社会で活躍する障害学生支援センター形成事業」が提言されました。センターの役割として、支援をする学生を含めた支援人材の養成・派遣があったり、テキストデータを作成して配信したりとか、非常に大規模で網羅的なプラットフォーム事業が構想されていたんだけれど、それが縮小してしまった。 やはりできるだけ早急に国レベルでの体制づくりが必要だと思っています。つまりしっかり予算をつけて、本気で取り組まなければなければならないということ。いちいちの問題にパッチをあてがうような対応ではなく、今のうちにがっつりやっておいた方が、結果的に費用対効果が高くなると思うんですけれどね。 「遊び」の大切さ 宮谷 この質問、池谷さんにはあまり意味がないかもしれないのですが、池谷さんにとってのひと呼吸って…… 池谷 ひと呼吸って、どうしてひと呼吸をしないといけないかっていうと、普段は気を張っていて、たまにほっとするひとときが必要だからでしょう。でも僕はずっと一服している感覚だからね。なにしろ68点しかやれていませんので、いつも32点分の余力があります。 宮谷 では最近気になっていることは? 池谷 最近は、キャンプやアクティビティといった野外活動のバリアフリー化を研究したり、実践したりしています。 障害学生支援って、修学や就労といったことに主眼が置かれがちですよね。でも人が生きていくうえでは、レクリエーションだったり、文化的なことが同等に必要だと思うんです。ところが日本ではレクリエーションが余暇と訳される結果、一段低く扱われている気がする。だから、そういったシーンでのサポートは二の次になりがちです。 でもね、勉強や仕事に「遊び」が従属しているという考え方が正しいのか?と思うんです。そこは生きていくという営みの両輪で、一本の軸で繋がり両方が回っていないと人間らしい生活って言えない気がする。少なくとも僕自身がそうだから。 宮谷 なるほど。余暇支援、遊びの場面の支援ってすごく欠落している部分だと思います。障害のある子どもたちと遊ぶ時なんかも、あえてプログラムと言い換えたりして、単純に遊ぶことが想定されていない。 池谷 障害のある人にとっての遊びは、支援という文脈の中でどこか求めてはいけない感覚になっているのではないか、萎縮が起こっているのではないかとも思います。遊びを楽しんでもいいんだと思えるだけで、いろいろな場面で変わっていくことがあると思う。単純にアウトドアやアクティビティが実施可能かどうかという話ではなくてね。 宮谷 全部つながっているんですね。 池谷 それは支援者や小中学校の先生なんかにも同じことが言えて、自分たちが遊びを含めた人生を楽しむよりも、目の前の学生や子どもたちのためにやれることがあるんじゃないかと頑張り過ぎる姿を見かけます。少なくとも対人職に関わる仕事においては、自分が辛くならないようにすることも含めて仕事だと思います。 宮谷 みんなに余裕がないとダメですね。でもまじめにやればやるほど余裕がなくなっていく気がします。 池谷 もちろん短期的には力の限りやらないといけない局面もあるけれど、飛行機と同じで、助走を終えて飛び立ってしまえば、ある程度楽に飛び続けられたりするわけですよ。 まぁ、僕の話はこれぐらいにしときましょうか。 宮谷 今日はありがとうございました。 (注1)井坂行男 大阪教育大学教育学部教授 聾学校教諭を経て、聴覚障害教育の研究や調査、教育実践現場の支援を行う。 (注2)メーリングリスト AHEAD JAPAN 設立大会(2014年11月)をきっかけに、望月直人(大阪大学)、枝廣和憲(岡山大学)、森麻友子(和歌山大学)(それぞれ所属は当時)らと立ち上げた。当初は国立大学支援関係者のみで「国立大学障害学生支援ネットワーク」として開始。現在は国立に限らず参加でき、運用されている。 (注3)障害のある学生の修学支援に関する検討会 2012年に文部科学省高等教育局長の下に設置された「障がいのある学生の修学支援に関する検討会」により取りまとめられた「障がいのある学生の修学支援に関する検討会報告(第一次まとめ)」に続き、さらなる修学支援体制の整備が急務となったことから同検討会が開かれた。2017年に「第二次まとめ」が取りまとめられている。 池谷航介・いけたにこうすけ 岡山大学教育推進機構 准教授 公立小学校教諭として通常の学級担任と難聴学級担任に従事後、大学院へ進学し学校教育におけるインクルージョン等の研究を開始する。その後、特別支援学校教諭、大阪教育大学教職教育研究センター特任准教授、東京大学先端科学技術研究センター学術支援専門職員を経て現職。障害学生支援実務の傍ら、現在はスポーツ・レクリエーション場面における支援等、多様な参加のあり方に関する研究に着手している。大阪大学キャンパスライフ健康支援・相談センター招へい准教授、京都大学高等教育アクセシビリティプラットフォーム・アドバイザリーボード。 Editor’s Note 今回向かったのは神戸市しあわせの村。ユニバーサルな総合拠点として、様々なバリアフリー施設があります。ここを活動拠点の一つにされている池谷さんからのご提案もあり、山々がきれいに色づく時期にお邪魔しました。おもむろにアウトドアグッズを取り出した池谷さん。その場でコーヒーを淹れ、ビスケットを振る舞っていただきながらのインタビューでした。 編集でバッサリ落としたわけではなく、障害学生支援のノウハウ等の話はまったく出てきていません。実は私が学生の時から池谷さんとは付き合いがありますが、当時学生だった私に対しても日々多くのことを語ってくれたことを覚えています。今回は、まさに職業人たる“ひと”としての信条、自分自身に正直にそして自分と周りの人をうまく生かすこと、改めてたっぷりと教えてもらいました。 恒例のご自身の「ひと呼吸」もまさに遊ぶように働く池谷さんらしいご回答。あぁそうきたかという感じ、でも納得です。障害学生支援に携わるうえでも余白を感じつつ、上手にバランスを取りながら。そんな池谷さんの姿を感じていただける紙面になりました。 (宮谷祐史)