December,2022 #13 Kondo Takeo Interviewer Funakoshi Koju / Text Kitani Megumi 米国で経験したフェアネス 近藤 2010年から約一年間、ワシントン大学にあるDO-IT Center(注1)で客員研究員をしていました。その時に現地の小中学校や大学、企業をまわって衝撃を受けたんです。 例えば日本では、個別の教育支援計画とはいっても、ある程度、学習指導要領に基づいたものになっているのですが、アメリカでは障害の状況に合わせて完全に個別の、一人ひとり独自の教育目標を立てて、それに合わせた指導ができるようになっている。しかも教員だけでなく、親がしっかり作成に関われるよう法律でも定められているんです。  舩越 1970年代頃から教育のインクルージョンが進められているアメリカと日本とでは、異なる点がたくさんあったと思います。 近藤 学習障害のある子どもたちがテクノロジーを使って学んでいる姿だったり、障害のある人たちが重要な職務を担って働いている姿を見て、こうしたことを日本で実現するにはどうしたらいいんだろうって考えるようになりました。  舩越 アメリカで見てきたことを日本で実現するためには、まず権利の捉え方から変えていかないといけないと思います。  近藤 権利に対する捉え方もそうですが、両国の様々な違いを理解するのにわかりやすい体験談があって。アメリカのフリーウェイって日本の高速道路では考えられないぐらい小石が落ちているんですよ。 舩越 小石ですか。 近藤 そう。小石が飛んできてフロントガラスに当たると、当然ガラスが割れますよね。僕も一度小石がフロントガラスに当たって割れてしまったことがあるんです。まだアメリカに来て間もない頃だったのですごく焦りました。とにかくまずは保険会社に電話しろと言われかけてみると、自動音声アナウンスが流れ、いきなり“No.1, Window broken”って言ったんです。それなら僕にもわかって、ガイダンスに従い電話を操作していくと地元の工場に繋がり、“Where?”と聞かれるので場所を伝えると、すぐ整備員らしき人がやってきてその場でガラスを交換してくれました。それで僕はサインして終わり。一件落着です。 舩越 日本の高速道路だと、小石がたくさん落ちているということがまず考えられないです。 近藤 もちろん石は落ちていない方が良いですよ。でも石一つ落ちていない環境を維持するのにどれくらいの費用がかかっているのか。気になったので当時インターネットで調べてみたのですが、アメリカは州内でフリーウェイにかけている維持費が詳しく公開されていました。一方日本は、調べても出てこない。 それは例えば学校についての情報も同じで、公立学校に通う障害のある児童生徒数やその障害種別、人種の違い、教員数の違いなんかもアメリカでは全州一覧で公開され、調べればすぐにわかる。どの州や学校区を選ぶか、自分たちが決めるために必要としていたんでしょうね。ただ日本ではほとんど公開されていないか、見つけにくいところにあるか。とにかく必要な情報にいきあたらないんです。  舩越 そうなると、自分で調べて考えようという気持ちになりにくいですよね。 近藤 そう。だから日本はパターナリズムが徹底している社会なんだろうなと思いました。知ろうと思っても知るすべがない、むしろ知らなくても良いと言われている気さえします。 アメリカの場合は背景に人種の違いや宗教の違いが強烈にあるので、お互いのことはよくわからないと思っている節があります。簡単にはわかりあえないからこそまず人や誰かの善意に頼るのではなく、それぞれが自分で決めて動けるための確かなシステムをつくろうという発想になるのかもしれません。 舩越 ただそうしたシステムは誰にとってもフェアなものでないといけないですよね。 近藤 一部の人だけがアクセスできたり得をするようなシステムでは、僕みたいな外国人は情報が得られず、どうしたら良いのかわからず途方に暮れてしまいますね。そうなると多国籍の人が暮らすアメリカでは多くの人が救われないので、システムがフェアかどうかを監視する目も育っていて、情報公開も徹底していたように思います。 自由な学びに開かれる 舩越 アメリカに渡って誰もが使えるシステムや権利というものの重要性に気付かれたわけですが、以前から問題意識をお持ちだったのでしょうか。 近藤 いま考えると、モヤモヤしたものをずっと抱えていたと思います。 僕は長崎県の大村というところで育ちました。大村は競艇発祥の地でもあり、福祉が手厚かったこともあって、昔は貧しい家庭の人たちが集まっていたように思います。 僕の周りにも貧困や暴力があふれていましたし、当時はそれが時代的にも当たり前だったように思います。付き合っている子たちもヤクザの子だったり親がいなかったり、複雑な家庭環境の子も多かったです。 当時を思い返すと、僕も社会性がほとんどなかったので、殴り合いは日常茶飯事でしたね。腕力の強さがものを言うみたいな。でも僕は勉強ができたんですね。だからヤンキーやいじめっ子に勉強を教えたりもしていました。でも教え方や口の聞き方がまずいと殴られるので、ヤンキーの友だちに社会性を教えられたようなところがあります(笑)。 舩越 そこで見てきたものが原点にあるわけですね。 近藤 そうかもしれませんね。僕はたまたま勉強ができて進学校にいったのですが、地元に残り続けた子や警察に捕まってどこかへいってしまった子たちが、本当はどんな人生を送りたかったんだろうって時々考えます。 僕も家族に大学へ進学した人のいない、いわゆるファースト・ジェネレーションにあたるので、元々は大学進学という選択肢はあまりなかった。ある時、高校の同級生で勉強のできる子が僕に河合隼雄先生の『無意識の構造』を貸してくれたんです。それを読んだらめちゃくちゃ面白かった。どうやったらこういう勉強ができるの?って聞いたら、心理学という学問があるらしい、広島大学でそれが勉強できるらしいと知った。それで受験をして、合格したことを親に伝えると「料理人になるんじゃなかったの?」と言われたぐらいですから(笑)。 舩越 大人が誰も教えてくれなかった。 近藤 僕自身も知ろうとしなかったけれど、知るすべを知らなかった。僕が大学に入ってまず驚いたのは、学ぶことってこんなに自由なのかということでした。知りたいことを好きに学べる。それは高校までの学びとは違う、開かれた学びだと思いました。 舩越 大学時代はどんなことをされていたのですか。 近藤 児童自立支援施設で勉強を教えていました。そこには勉強の苦手な子どもたちがたくさんいて、基礎から勉強をやり直すんですね。ただ、例えば文章題でりんごが何個ずつ、みかんが何個ずつというのが出てくると、「ずつ」がわからない。漢字を飛ばしながら読んだり、勝手に内容を変えて読んでしまったりという子たちがいました。当時は「勉強が向いていない」「極端に勉強嫌いな子たちがいるんだな」などと思っていました。 舩越 なるほど。 近藤 ちょうどその頃、教育心理学の外書購読で、「ラーニング・ディスアビリティ」に関する記述が出てきたんですね。その子たちに適した学び方について触れていたのですが、これだ!と思いました。そうか、この子たちが悪いんじゃない、文字が読めないとか読みにくいとか、それは学習障害といった特性なのかもしれないって。 舩越 かつて周りにいた勉強が嫌いと言っていた友だちも、学びにアクセスできていなかっただけかもしれませんよね。それなのに大人は、悪いのは勉強しないおまえだと言い続ける。そうするとますます学びから遠ざかっていきますね。 近藤 そういう子どもたちはいつも学びの外側に置かれてしまうんです。学校の仕組みの中では能力が一元的に序列化されてしまうので、そこにうまくのれない子どもたちが外縁化される。教育が能力の序列化のために利用されてしまっている。でも本当の教育ってそうじゃないだろうって思います。 障害へのアプローチの変化 舩越 そうした思いがDO-IT Japan(注2)の設立に繋がっていったのでしょうか。 近藤 DO-ITを始めたのは僕じゃなくて、巖淵守先生(注3)と中邑賢龍先生(注4)なんです。僕ははじめ、技術スタッフとして手伝いから始めました。でもまさにその技術的なサポートというのが僕のやりたいことでした。 舩越 大学時代は心理学を専攻されていたのに? 近藤 学部では実験心理学を一生懸命やっていましたし、大学院生時代はプログラミングを使って認知心理学や心理物理学の研究をしていました。 舩越 その頃からテクノロジーには興味があったんですね。 近藤 そうですね。海外ではすでに学習障害のある子どもたちが、テクノロジーを使って文字を読んだり書いたりしていました。国内では中邑先生がATACカンファレンス(注5)を始められたばかりで、僕もそこに参加してテクノロジーを取り入れた学びをもっと研究したいと思いました。 舩越 そして中邑先生のいる東京大学の先端科学技術研究センターに赴任されますね。 近藤 2005年に赴任した当初はまだバリバリに実験心理学をやっていました。その頃は、星加良司さん(注6)や飯野由里子さん(注7)が同じ研究室にいて、今考えるとずいぶんと失礼なことを言っていたなと思います。「実証アプローチじゃないとダメだ」とか「あなたたちの書いているものって小説と何が違うの?」とか(笑)。 舩越 アプローチの仕方が違ったんですね。 近藤 僕は障害を、実験や観察の対象として個別に理解していました。でも星加さんや飯野さんは、社会との関係であったり社会によって生み出されたものというふうに障害を捉えていました。見えているものが全然違いますよね。だから彼らから社会学の視点を教えてもらって、障害に対する考え方や捉え方の違いを毎晩のように飲みながら議論しました。 同時に中邑先生には、理論だけでものを言うなと言われ続け、参与型の研究や生きたテクノロジーの使い方を徹底的に教わりました。ですから、東大に来て本当にたくさんのことを学びました。 寝た子を起こすなと言われ 舩越 現在「超短時間雇用モデル」(注8)などたくさんのプロジェクトを動かされていますが、前例がないものに取り組む時には様々な苦労がつきまとうと思います。 近藤 2007年にDO-ITを始めた時も、前年に国連で障害者権利条約が採択されたものの合理的配慮という言葉は一般にはほとんど知られていませんでした。だから障害のある子どもたちとは、自分たちが先例になろうと言って取り組んできました。その積み重ねが大学入試において、様々な合理的配慮の仕組みとして実現していくプロセスにも繋がっていきます。 舩越 DO-ITに来る子どもたちも、はじめから自分に必要な合理的配慮がきちんとわかっているわけではありませんよね。 近藤 その通りです。これまで受けてきた教育の中では、できないことがたくさんあり過ぎて、できない状態が普通になっている。いろいろな学び方を体験して試行錯誤するプロセスがまず必要なんです。 それからその子たちには、早くネタばらしがしたいと思って、社会モデルの考え方を教えたり、できないのは君たちのせいじゃない、社会のあり方がそうさせているんだって言い続けてきました。中には寝た子を起こすなと言う人もいますが、今はまだ知る機会もチャンスも少な過ぎます。 舩越 寝た子なんてどんどん起こしたらいいのにって僕なんかも思いますけど。 近藤 まずは情報や選択肢があったうえで、やるかやらないかを決めるのも本人だろうって思うんです。 舩越 AccessReading(注9)の取り組みなんかも選択肢がないことに対する解決アプローチですね。 近藤 紙の本を読めない子はたくさんいるのに、当時は今と違い、デジタルデータのアクセシブルな教科書がほとんどありませんでした。そうした状況を変えるためにはアメリカのBookshare(注10)のようなものが必要だと思い、始めました。 この活動を始めた当初、著作権法上違法なんじゃないかって電話がかかってきました。もちろん当時の著作権法では難しい部分があるのはわかっていましたが、必要だと思ってやっていました。でもさすがに逮捕されるのはマズいと思って、中邑先生に相談したら、「君が捕まった方が世の中にこの問題が知られるからいいじゃない」って(笑)。だったらもう徹底的にやろうと思って図書館と連携し外部資金もとって、システムづくりをどんどん進めていきました。 舩越 先例をつくるというのはそういうことですよね。近藤さんはAHEAD JAPAN(一般社団法人全国高等教育障害学生支援協議会)の立ち上げメンバーでもあるわけですが、どんな思いで始められたのですか。 近藤 立ち上げたのは2014年で、ちょうど日本政府が障害者権利条約を批准した年でした。当時は国内法を整えるため、様々な議論が行われていました。僕自身も2012年には文部科学省の「障がいのある学生の修学支援に関する検討会」のメンバーとして第一次まとめの策定に関わり、続いて対応指針の策定や、国立大学協会の「国等職員対応要領」の雛形策定にも関わりました。 その頃は大学のFDの講師として呼ばれることも多く、関西に行って非常に驚いたのが、KSSK(注11)といった組織がすでにあって、大学職員が現状を変えていこうと活発に動いていたことでした。 舩越 職員がとても元気だった。 近藤 そうです。ところが、KSSKを立ち上げたような熱意ある職員たちも配置転換があると異動せざるを得ない。そうならないためには、日本にも障害学生支援という職業領域が必要だと考えました。 そこで、アメリカで見てきた障害学生支援ネットワークを日本の高等教育機関に実現できないかと考え、第一次まとめを策定したメンバーに声をかけたところ、「待ってました!」といった反応をいただいたので、進めていくことになったんです。 舩越 設立から5年以上が経過して、何か見えてきたことはありますか。 近藤 AHEADができたことで障害種別や地域でばらばらだった取り組みが、少しずつまとまってきたのではないかと思います。ただ、新たな課題も見えてきました。例えば地方の大学や専修学校などをまわっていると、実は知的障害の手帳を持っている学生がいるという話を聞きます。でもそうした学生は日本の障害学生支援の対象としてあまり想定されていません。それから、きちんと機能する異議申し立ての仕組みもほとんどない。本当はもっと関係者で話し合わないといけないし繋がらないといけないのですが、コロナによって前に進みにくい状況が生まれていると感じます。 未来にむけたアドボケート 舩越 障害学生支援を担う支援者についてもお聞きしたいのですが、これからはどういう支援者が必要だと思われますか。 近藤 僕たちが取り組むPHED(注12)というプロジェクトに、SIG(注13)という専門部会があります。この専門部会は八つあって、障害のある学生の修学支援やキャリア移行支援を構成する領域別になっており、全国の専門家や企業、団体関係者、障害当事者がメンバーです。 舩越 僕もそのうちの一つ、SIG-TS (Technical Standards)のメンバーです。 近藤 これらの八つの専門領域を全般的に押さえられる支援体制が、大学の現場に求められていると思いますが、現状はこうした共通のコンセンサスのもとに支援業務が定められているのではなく、個々の支援者のできる、できないに頼ったあり方になっていると思います。 舩越 個々の支援者の能力ややり方に頼っているということでしょうか。 近藤 そうですね。素晴らしい支援者がいるのは良いことなのですが、支援の専門性を多くの人が学べて、もっと多くの人々がプロとして関われる仕事になってほしいと思います。 舩越 もっと普遍的な仕事になるということですね。 近藤 そして何より大事だと思うのは、支援者は学生の一番身近なアドボケート(advocate)であることです。障害のある学生にとって今は足りないことが多過ぎます。救済措置もないし、学校の中ではいつも一人で孤立せざるを得ない状況になりがちです。 舩越 アドボケートという視点は、近藤さんがこれまで取り組んできた様々な課題へのアプローチの仕方と繋がっていますね。 近藤 僕は障害のある子どもたちが、ゆくゆくは海外で、自由に活躍できる道も自然に選べるようになってほしいと思っているんです。僕自身も地元にいた頃は狭い価値観や観念に縛られているのが本当に苦しかった。そこから出てはじめて気付くことがたくさんありました。だからどんどん外に出ていってほしい。 舩越 そのためにも障害学生支援を担う支援者には学生にとってのアドボケートであってほしいということですね。 近藤 大学には初等中等教育にはない自治があるので、ある程度自由なことができると思います。繰り返しになりますが、大学に期待されているのはアドボケートです。そう思って関わる人、必要であれば大学組織を引っ張っていくぐらいの人が求められていると思います。 舩越 支援者はもっと前へ、もっとできることがあるはずという力強いメッセージをいただいたと思います。 さて、お話をうかがってもう3時間が経とうとしていて……近藤さんの次の予定が迫ってきているのですが、最後の質問がまだ聞けていません。最後に近藤さんがふと息抜きできるひと呼吸をお聞きしたくて。 近藤 ひと呼吸してるかなぁ……。でも、お酒を飲んだりするのは好きですね。このところ山梨でワインづくりをする事業所に関わっているんです。知的障害のある人たちが就労継続支援B型で働くワイナリーで、そこのワインをたくさん持っています。そのワインを誰かと一緒に話しながら飲んだりするのが良いですね。結局仕事じゃんって言われそうだけど(笑)。 でもお酒ってどれも想いがあってつくられているので、それを囲んでみんなで飲むとなんか良い話ができるし、落ち着きますよね。お酒づくりにもこれからどんどん関わりたいと思っています。 舩越 ぜひまたご一緒しましょう。 近藤武夫・こんどうたけお 東京大学 先端科学技術研究センター教授 広島大学教育学研究科助教、米国ワシントン大学計算機科学工学部/DO-IT Center客員研究員を経て現職。障害のある人の教育や雇用場面における困難の解決に向け、テクノロジーを用いた支援の研究を行う。同時に社会課題として解決するために、制度化を視野に自治体・企業等とのプロジェクトも多数主催。著書に『知のバリアフリー』(共著/京都大学出版会)、『情報社会のユニバーサルデザイン』(共著/放送大学教育振興会)など。 注1 The DO-IT Center(Diversity,Opportunities, Internetworking and Technology) 1992年に米国ワシントン大学にて設立。テクノロジーと教育を通じて、障害のある人が学校や職場における社会参加を進めていくことを目的とする。 注2 DO-IT Japan 2007年東京大学先端科学技術研究センターや企業との共催によって始められた、障害や病気のある若者の高等教育への進学・就労移行支援を通じた社会のリーダー育成プログラム。 注3 巖淵守 早稲田大学人間科学学術院人間科学部健康福祉科学科教授 ICTを応用し、障害者や高齢者に役立つ支援技術の研究開発を行う。 注4 中邑賢龍 東京大学先端科学技術研究センター寄付研究部門・個別最適な学び研究シニアリサーチフェロー DO-IT Japan、東大先端科学技術研究センター・日本財団による異才発掘プロジェクトROCKETなどの発起人。 注5 ATACカンファレンス 1996年より開催される障害のある人の生活を変える様々な支援技術(AT:Assistive Technology)と拡大・代替コミュニケーション(AAC:Augmentative and Alternative Communication)に関するイベント。 注6 星加良司 東京大学大学院教育学研究科附属バリアフリー教育開発研究センター教授 障害学、バリアフリー研究を専門とする。 注7 飯野由里子 東京大学大学院教育学研究科附属バリアフリー教育開発研究センター特任准教授 ジェンダー、セクシュアリティ、ディスアビリティ研究を専門とする。 注8 超短時間雇用モデル IDEA (Inclusive and Diverse Employment with Accommodation)プロジェクトの一環で、従来型の雇用では働くことの難しかった精神障害や発達障害、難病などのある人々が、1日15分、週1日から一般企業で働くことを実現する雇用モデル。 注9 AccessReading 読むことに困難があり、特別な支援を必要とする児童生徒や学校等に向けて、検定教科書の音声教材等を製作・提供するオンライン図書館。 注10 Bookshare 2001年米国で設立されたデジタルライブラリー。紙の印刷物を読むことに困難のある障害者が100万タイトル以上の本の中から読みたい本を自由に入手して読むことができる。 注11 KSSK 関西障がい学生支援担当者懇談会 関西にある大学の障害学生支援に携わる実務担当者の集まり。現在は大学コンソーシアム京都が事務局。 注12 PHED(Platform of Higher Education and Disability) 障害と高等教育に関するプラットフォーム事業。 注13 SIG(Special Interest Group) 障害のある学生の修学支援や就労移行支援等において、とりわけ重要と考えられる8領域について検討する専門部会。 Editor’s Note 「自分語り」難しいなぁ、こんなんでいいのかなぁ?とのお言葉から始まった今号の取材はこれまでで最長の3時間強、合いの手を入れる隙もないまま語り通していただきました。時間内で足りず、次のお仕事に向かうタクシーに飛び乗られるその瞬間まで、芸能人追っかけ記者状態でした。その話が豊か過ぎて、楽しすぎて。 僕は人の名前と顔を覚えるのが苦手で、その方にゆかりのある地名や名物を紐づけて覚えるようにしています。近藤さんが長崎県大村市ご出身というのは以前うかがっていて、僕の頭の中には、名物の角ずしと、長崎空港から海越しに見える大村の景色とがセットに格納されています。あの温和な景色の中で、こんなドラマの主人公が生まれ育ったとは。 海っていいですよね。大村湾は穏やかな内海ですが、近藤さんがそうだったように、確実に世界へつながっている。行きたいと思う所に船を漕ぎだす機会すら持てない人がいる。それっておかしいでしょ?どんどん船を出して、海を越えていってもらいましょうよ。 いつもそんな風に、怒涛な日々の中でも、シンプルで確固たる強い思いを放っておられます。やっぱかっこいいんだよなぁ、近藤さん。 (舩越高樹)