ひと呼吸第9号 リード文 私たちの日常。それは多くの営みの連なりである。 普段、それぞれの行為の意味を考えることは少ないが、ふと立ち止まって考えてみれば、そこには偶然と必然が潜んでいることに気づく。 呼吸。そのような自然な行為ですら、太古における偶然と必然の産物であったといえるかもしれない。 この『ひと呼吸』が、手に取った人の日々の呼吸(営み)を見つめ直すきっかけとなり、そして、それぞれの日常のなかでの「ひと呼吸(休息と起点)」になれば嬉しい。 本文 #9 Kusunoki Keita Interviewer / Text Kitani Megumi 小見出し1「友達として、同じ社会を生きる者として」 木谷 楠さんが障害というものに関わることになった原点やきっかけって、なんだったんでしょう? 楠 原点? 木谷 はい。原点。 楠 僕は障害のある方って、すごい力があるなっていうのを感じていて。なぜそれを感じるようになったかというと、今まで『ひと呼吸』読んでて誰も小学校からの話はしてないから、僕は小学生のときの話をしますね。 木谷 はい。お願いします。 楠 僕が小学生のとき、四つ離れた中学生の兄貴がいて、その兄貴の運動会を見に行ったら、徒競走で両腕のない人が走ってたんですよ。 木谷 それはけっこう衝撃だったでしょうね。 楠 走ってる人の両腕がない。で、走ってる最中、急にバタンって倒れたんですよ。そしたら周りの先生とかが助けに来るじゃないですか。すると、助けに行ったその先生らに対してその子がすごい勢いで「来なくていい!」って言ったんですよ。会場がシーンってなって。僕も、え?って思ってたら、次の瞬間には自力で立ち上がって、しまいにはゴールしてたんですよ。それが「障害」に出会ったはじめって言えるかな。そんな出会いもあって、学校の先生になりたいっていう明確な目的があったわけではないんですけど、大阪教育大学の特別支援学校の先生を目指す専攻に入りました。それだけですよ、ほんまに。あぁ、びっくりした。もう、とにかく走りだしたから。 木谷 そんなことがあったんですね。でも小学生の楠さんがいきなりそれで障害に関わりたいって思ったわけではないですよね? 楠 そのときはね。後からわかるんですけど、その人、後にパラリンピックに出て水泳の平泳ぎで銀メダルをとるんです(注1)。当時の僕はただただ衝撃を受けただけやったかもしれないですけど、その後、僕が中学生のときにアテネ大会で銅メダルとって、講演会も聞きに行ったり、テレビにも出ていて足でカップラーメン作って食べてる姿を見たりとか。そういう姿を見たり聞いたりしているうちに、だんだんとあのときの中学生が……って、何度もリプレイされて自分の中でどんどん……。 木谷 強くなっていきますね。盛り上がっていくというか。 楠 そう、よみがえってきて、やっぱりすごい人やったんやって。そんな人に純粋に関わりたいというのが僕のベースにあります。友達になりたいという感覚に近いかもしれない。 木谷 そうか。先に支援をしてあげたいとか助けたいっていうことがあるんじゃなくて、それよりもただただ関わりたいという気持ちがあったっていうことですよね。今もその感覚って大きくは覆されてないですか。 楠 そうですね、大体は。学生に対しても別に助けてあげたいっていうよりも、面白くない顔してたら、何か言ってあげたくなるような。 木谷 確かに楠さんはすごくフラットというか、いい兄ちゃんという感じがあります(笑)。 楠 僕の中でただ一つ強く思い続けてることは、例えば居酒屋でお酒を飲んでるとするじゃないですか。その場に車いすを使っている人が段差のせいでお店に入れないとする、そういう場に居合わせたとたんにビールがまずくなる。そうした状況をなくせる仕事をしたいっていうのがあって、今の仕事をやってます。だから僕は助けてあげたいというよりも、その人たちも含めて生活しやすい世の中になったら、僕自身もたぶん生活しやすい世の中になると思ってやってる。おいしくビールを飲みたい、その信念一つですね。 木谷 その感覚はわかるような気がします。それって障害に限った話ではないですよね。 楠 そうですね。障害に限らない。たださっきも言ったように、障害のある人がすごいパワーを持ってるっていうことを感じてるから、そういう人がもっと社会に出ていける方がいいっていう思いがある。 小見出し2「障害者とどう関わるか」 楠 もうひとつ、僕の障害観を形成したなと思う体験があるんです。 木谷 それはどんな? 楠 大学に入ってすぐに、障害のある人の重度訪問介護(注2)のアルバイトを始めたんです。その訪問先が、耳が聞こえなくて言語障害もあって、あと車いすも使ってる男性の家でした。その人と合わなくて辞めていく学生もけっこういたんですけど、僕は大学院生時代も含めて6年続けることができた。「なんでやねんっ!」って思うことも度々ありましたけど、長く続けていくとだんだん好きになっていくんですよ。その人は自分のやりたいことをどんどんやっていく方で、よく旅行にも行かれてて、韓国とかベトナムとか。なんだかんだ僕も4回ぐらい一緒に行った。海外行って何をするかと聞くと、現地の障害のある方と関わりたいと言うんですね。はじめはその手配も僕らがやってました。JICAに連絡したりとか。 木谷 続けるためにはその人のことを好きになるっていうことが必要だったのかもしれないですよね。それぐらい感情と切り分けて仕事するっていうことが難しかったとも言える。 楠 あとはやっぱりエネルギーを持ってるんですね、その人が。人を引き寄せる力みたいな。今でもそのときのヘルパーたちが集まるんですよ。自立生活何十年パーティーって言って。 木谷 親族みたいなもんですね。 楠 ほんまファミリーみたいな感じで。ただ、続けられた人と辞めてしまった人の違いは、そういう生々しい生活をともにできるか、生きてるってことを一緒に感じられるかどうかかなと思うんです。 木谷 うーん、激しいですよね……。私も24時間の重度訪問介護をしていたときに思いました。食べることも寝ることも、排泄とかも、丸ごとぜんぶ関わる。体調や機嫌が悪いときも良いときも生きてたらいろいろある。そのときに介助者はどうあるのがいいのか、これっていう正解があるわけではないから。 楠 そうですよね。正直なところ性格の合う合わないもあるし。むこうも言うんですよね。「性格合わない」って。それで辞めていく子らもけっこういたから。 木谷 性格の問題とはまた違うんですけど、大学で障害学生に関わってても、自分が丸ごと問われてると思うような場面ってあるんです。だから、自分が支援者だとか専門家だとか一歩引いたところ、違う次元から関わるっていうことがときどき難しいなと思うことがあって、どこか当事者性を帯びた関わりとか考え方になってしまうんですよね。 楠 それもよくわかります。僕自身は特別支援学校での教員経験があって、そのときにできるだけ客観的に見ることや関わることの大切さを感じてきました。ただ一方で、相手の気持ちを汲み取ったり実際の対応をするときには、客観的にいるだけではどうしても厳しい部分が出てきますよね。だから主観的に関わることもある。結局は両方の視点を持ってその相手や場面によってバランスよく関われるのが大事なんやと思います。 小見出し3「学術レベルの支援を追求する」 楠 ただ、こういう話をしてると、性格の合う合わないとか気持ちの問題みたいな話になってしまうんですけど、そういうこと以外に大事なことを今の職場で中野先生(注3)からたくさん学びました。例えば手話。学生時代にサークルで手話をやってた僕は、伝えたい気持ちが大事っていう話をずっと聞いてて、そういう意識を持ってた。でも当然ながらそれだけじゃない。支援や配慮っていうのは、もっと細かくて技術的な話もあるんだと。 木谷 情報保障支援でも、とにかく情報を提供できていたらいいっていう話ではなくて、その情報の質を問う、大学での学びに堪え得るようなレベルで保障していかないといけないっていうことですね。 楠 今それが大きなテーマやと考えてるんですよ。情報アクセシビリティの質を問うっていう視点は、障害種別問わず高等教育のあらゆる障害の支援、配慮において言えること。手話通訳でも今学術レベルでできる人って多くはないんです。 木谷 楠さんは大学院で視覚障害に関する研究をしていたんですよね。視覚障害の分野でも同じような話がありますか。 楠 そうですね。もともと視覚障害やディスレクシアの方を対象にしたICTの活用、いわゆるデジタル教科書、DAISY図書(注4)とかの研究をしてたんですけど、例えばそういった人たちにテキストデータを提供するとき、学術レベルのテキストデータを作成するとなるとやっぱり難易度は高くなる。内容も専門的で図表もたくさん入ってきたり言語も様々。そういう学術レベルのデジタルデータの提供をどうしたらいいのか。そういったことをもう少し研究したいと思っています。 木谷 具体的には、どんな。 楠 例えば実際に視覚障害のある人たちがテキストデータを音声で聞くとき、どこがどんなふうに聞こえているのか、どうしたらわかりやすいのか。それをインタビューしてきちんとまとめて報告する。しっかりとエビデンスを持って示すことができれば、根拠のある配慮として広がっていくかもしれない。その場しのぎでやるんではなくて、長期的に続く支援や配慮として定着するかもしれない。そういうことを新たにきちんと考えていかないといけないんじゃないかって思います。 木谷 そういうことがわかってくるとテキストデータの作成にも当然いかせますし、視覚障害のある人たちがパソコンの音声読み上げを使って試験を受けるときなんかは、時間の延長はいるのか、いるとしたらどれぐらいが妥当なのかということもわかってくるかもしれませんね。 楠 そう。今はどういうデータを提供するのがいいのかという研究はあっても、実際の試験の運用で根拠となるような研究はほとんどないと思います。だから例えば、多くの学生が紙の文字を黙読するのとパソコンで音声読み上げするのとでスピードがどれぐらい違うか、実際の試験を使って比較検証してみるとか、そういった基礎的な研究もしていかないといけないと思います。試験は学生にとっても一回勝負ですし、100%成功するぞっていう確信がないと本当はやってはいけないところがあるけど、研究は10%の可能性でも何か見えてきそうなことがあれば試行錯誤してやってみることができますからね。 木谷 それにしても今の立場で研究と実践の両方をしていくっていうのは難しくないですか。研究が業務として位置付いていないとできないというのもそうですけど、現場で日々、目の前の学生に対してどうしたらいいかっていうのを問われているとき、研究はどうしても時間がかかる、現実の後追いになるという側面がある。 楠 そうですね。研究と実践を混同したくないからきちっと分けてやりたいという思いもあります。普段の取り組みをまとめるだけでは新しいことは見えてこないと思ってるので。実際には研究に割ける時間はそれほど多くないですけど、今は研究員っていう立場でもあるし、できないわけではない。 木谷 これまで大学の障害学生支援は支援する部署も専門のスタッフも不十分、足りていないというところから始まりましたよね。とにかくまずは目の前の学生の支援をやっていくことが最優先だった。でも多くの大学で10年も経ってくると、今やってる支援や配慮の根拠はどこにあるのか、本当に有効な支援になり得ているのか、そういう質に関することを自問する場面も出てきてると思うんですよね。そんなときに私たちがやってる支援の後ろ盾になるような根拠や理論がほしいと思うことがありますね。 楠 そうですね。だから例えば、障害学生の学術的な研究をする集まりとか話し合う場があってもいいと思うんですよね。 木谷 はい。 楠 今は高等教育機関での障害学生支援を研究している研究者は少ないと思うので、もう少し増やしていけたらいいし、自分もやっていきたいって思ってるんです。 木谷 実務の部分も当然大事だけど、今研究の部分も足りていない。 楠 突飛なことを言いますけど、例えば研究センターのようなところがあって大学院生を置くっていうこともあったらいいんじゃないかなと思うんですね。阪大でも、こういう僕らのセンターで院生をとって一緒に研究していくっていう。 木谷 そういうところがあってもいいかもしれないですね。 小見出し4「異世界に飛び込む」 木谷 それにしても、これまでの楠さんの経歴とか話を聞いてると、もっと学生や障害者に直接関わるようなことをやりたい方なのかなと思っていたんですけど、研究というのもかなり重視されてきたんですね。 楠 そうですね。大学院を修了したあとは附属の特別支援学校で教員をやって、その後も中国の上海にある日本人学校で2年程教えたりもしてましたけど、今言ったような研究のことは大事にしたい部分です。今の職場で学ばせてもらった大事なこと。ただ、活動的なことをもっとしていきたいなっていう思いも同じぐらい強いんですよ。 木谷 どんな活動? 楠 これも学生時代の話になるんですけど、さっきの障害者の介助とは別に、ボランティアで4回ぐらいカンボジアに行って、そこで本当に楽しそうに勉強している子どもたちとたくさん出会ったんですよね。すごい心に響きました。その体験から僕自身も後輩とか周りの学生にどんどん一緒にカンボジア行けへんか?って声かけていって、いつの間にか個人ツアーみたいなんを始めてたんです(笑)。 木谷 人に勧めたくなるほど大きな経験やったんですね。 楠 あるとき、先輩が連れてきた中学生がツアーに混じってたことがあったんですね。2月ぐらいでまだ学期中のはずなのに、教育熱心なご家庭なのか、一人で参加してた。現地でもすごい楽しそうに子どもたちと話してて。それで日本に帰って来て初めて知らされたんですけど、その子、不登校やったっていうんですね。でもそのカンボジアに行った後からまた学校行くようになったって。 木谷 その子の中で何か変化があったんでしょうね。 楠 詳しくはわからないですよ。でも、今まで経験したことのないことを経験した、違う世界に足を踏み入れた。それが大きかったのかもしれない。 木谷 目が開かれるというんでしょうか。 楠 環境を変えるってすごい大事やと思ったんです。だから、そうした機会を提供するような活動をしたいという思いがずっとあります。 木谷 学校っていう同質性の高い集団の中で一度不登校になって引きこもると、なかなか脱出できなくなる。だから環境を変える、ぜんぜん違う世界に身を置くという体験は突破口になるかもしれない。 楠 そこに行くまでが難しいですけどね。寝てるときに連れていくとか(笑)。 木谷 それぐらいのジャンプがいりますね。私にとっての異世界体験は沖縄でした。こんな世界もあるのか、こんな生き方もありなのか、って。 楠 東京大学で「異才発掘プロジェクトROCKET」(注5)というプロジェクトをされていますね。既存の社会、学校で不適応を起こしてしまうような子どもたちがいろいろなノウハウや選択肢を知ることで可能性を広げていけるような。僕がやりたいと思っているのは、そうしたことに興味や関心を示せるようになるためのきっかけ作りの方かもしれません。教育の世界では動機づけっていう言葉を使ったりしますね、勉強への動機づけとか。 木谷 大事ですね。 楠 特別支援学校ではそういう動機づけってすごく大事にされてる。ほんのちょっとしたきっかけでいいんです。大好きなキャラクターが教科学習のなかに登場してくるとか、そうやって環境が少しでも変わることで、面白いと思える世界が広がる可能性がある。勉強に対する意欲だけじゃなくて、生活に対する意欲が変わってくる。 木谷 生きることへの意欲にもつながっていくかもしれない。ある種の障害って、ともすればネガティブな経験がベースになって意識化されてしまうことが多いと思うんです。学校に馴染めなかったからとか、人と比べてできない、就職できないからとか。そういう経験が元になって、人と違う自分は病気なんじゃないか、障害なんじゃないかって。でも、自分に対するそうしたまなざしを絶対視するんじゃなくて、いろんな考え方があるかもしれない。ネガティブにとらえるだけじゃなくて、その違和感をなんかもっと、こう、楠さんの言うエネルギーに変えていけるようなきっかけがあったらいいなって思う。 楠 そうですね。僕自身の経験を通して思うのは、大学生活も社会人も絶対楽しいんです、本当は。 木谷 本当は楽しいはずだと。 楠 もちろん押し付けるわけではないんですけど、楽しいはずなのにそれを味わえていないっていうのはもったいないなと思うんです。やりたいことをやる楽しさがない。あるいはやりたいことがないとか。だからいろんなことに出会える場とか環境を変えられることが、やっぱり大事。 木谷 そのきっかけ作りをいかに周りの大人たちがいい距離感でできるかというのが大事な気がします。 木谷 さてさてそれでは、そろそろ楠さんのひと呼吸を聞こうと思うんですけど。 楠 僕ね、ユニバーサルスタジオジャパンに年に4回ぐらい行くんです。最近はあんまり行けてないんですけど、もしこれを読んでる人が誰かと行きたいとかあったら僕に声かけてもらったらプランを立てるので。 木谷 コンシェルジュもできるぐらいどこがおもしろポイントなんですか? 楠 これもさっきの話につながってて、ちょっと異世界じゃないですか。 木谷 そうですね、確かに。ハリーポッターとか。 楠 そういう別世界に行くことが好きなんでしょうね。普段とは全く違う世界に。ただジェットコースターは嫌いなので、USJでビール飲んでるだけで満足なんです。 木谷 (笑) 楠 カンボジアも障害もUSJも、自分が知らない、想像もできなかったものに触れて驚かされる。そういうことを面白いって思いながら楽しんでいけたらいいなって思います。こんな話で良かったですか(笑)。 プロフィール 楠敬太・くすのきけいた 大阪大学キャンパスライフ健康支援センター 相談支援部門 特任研究員 大阪教育大学大学院教育学研究科修了。大学院在籍中に「東日本大震災被災障がい者支援プロジェクト」に関わる。大学院修了後、大阪府の特別支援学校に勤務した後、上海の日本人学校にて特別支援学級の担任となる。帰国後、2015年より現職。実務の傍ら、小学生から大学生までを対象としたマルチメディアDAISY図書に関わる実践研究に従事している。コーディネーターとしてのモットーは、「全ての学生が楽しい学生生活を!」である。 (注釈) 注1 中村智太郎 1984年7月16日生。生まれつき両腕がなく、5歳のときに水泳を始める。2004年アテネパラリンピックでは銅メダル、2008年北京パラリンピックでは5位入賞、2012年ロンドンパラリンピックで銀メダルを獲得。2016年リオデジャネイロパラリンピックにも出場し、4大会連続出場をしている。 注2 重度訪問介護 重度の肢体不自由または重度の知的障害もしくは精神障害によって行動上著しい困難を有し常に介護を必要とする方に対して、介助者が自宅を訪問し、入浴や排泄、食事、調理、洗濯などの家事、また見守り支援(待機)を含む生活全般にわたる援助や外出時における移動中の介助を総合的に行う障害者福祉サービス。 注3 中野聡子 大阪大学キャンパスライフ健康支援センター講師(~2019.12)。現在、群馬大学教育学部障害児教育講座准教授。 注4 DAISY図書 DAISY (Digital Accessible Information System)図書とは、視覚障害者や普通の印刷物を読むことが困難な人々のために、国際標準規格に則って作成されたデジタル図書。 注5 異才発掘プロジェクトROCKET “ROCKET”は、“Room Of Children with Kokorozashi and Extra-ordinary Talents”の頭文字をとったもので、「志ある特異な(ユニークな)才能を持つ子どもが集まる部屋」という意味。ユニークさ故に学校に馴染めない子どもたちに対して多様な学びを提供するプロジェクト。2014年に東京大学先端科学技術研究センターと日本財団の協働で始められた。 Editor’s Note 楠さんがインタビューのなかで話された「情報アクセシビリティ」のことは日々試行錯誤しながら考えてきたことでした。実感として、100%の質と量を保障できているなんてとても言えない。100%どころか半分にも達していないのでは……。どうすれば十分に情報アクセシビリティが確保できるのか。 思い出したのは、2019年第21回図書館総合展で行われた「読書バリアフリーは知をすべての人に開くか?」(※末尾にURLあり)というフォーラムで司会の植村要さん(立命館大学)が、大学等での書籍のテキストデータ化について「率直に言ってバカげていると思われませんか」と発言されたこと。ここだけを切り取ると誤解を招きそうですが、もちろんテキストデータ化は現状では不可欠と認識された上でのご発言です。つまり、出版社や印刷会社には元々書籍のデータがありそれを印刷して紙の本を作っているのだけれども、それをもう一度スキャンしてOCRをかけてデータに戻しているような現状は、全体でみると壮大な無駄ではないかと指摘されたのでした。これを解決するためには、出版社はじめ、法制度やインフラ自体が変わる必要があります。大学も同様に、支援部署が単独で情報アクセシビリティを確保するというのではなく、講義担当教員の意識や大学のシステム変更までも視野に入れる必要があるのだと思います。そのためにはどんな方法が効果的なのか、それを裏付け理論立てる研究の重要性を改めて認識する機会になりました。 https://www.libraryfair.jp/news/9537 (木谷恵) Concept 障害のある学生が高等教育にアクセスする権利を保障するための取り組みである「障害学生支援」には、その主人公である学生と対話し、ともに行動してきた多くの実践者たちの存在があります。こうした実践者一人ひとりには独自のバックグラウンドがあり、またそれぞれの考え方や想いをもって形作ってきた歴史があります。私たちは、これらの「人」によって蓄積されてきた考え方やその想いを知ることが、これからの障害学生支援を考えていく上で貴重な機会となり、この分野の魅力を知ることにつながると考え、この『ひと呼吸』を発行することにしました。ここに綴られているのは、私たちを含めた一人ひとりの関係者にむけた応援のメッセージです。 ひと呼吸・編集委員会(HEAP×Kyoto Univ.DSO) 村田淳、舩越高樹、宮谷祐史、木谷恵 HEAP:高等教育アクセシビリティプラットフォーム Kyoto Univ.DSO:京都大学 学生総合支援センター 障害学生支援ルーム クレジット 発行/高等教育アクセシビリティプラットフォーム(HEAP) Address 京都市左京区吉田本町 京都大学学生総合支援センター内 Web https://www.gssc.kyoto-u.ac.jp/platform/ Mail d-support-pfm[@]mail2.adm.kyoto-u.ac.jp Tel 075-753-5707