ひと呼吸第3号 リード文 私たちの日常。それは多くの営みの連なりである。 普段、それぞれの行為の意味を考えることは少ないが、ふと立ち止まって考えてみれば、そこには偶然と必然が潜んでいることに気づく。 呼吸。そのような自然な行為ですら、太古における偶然と必然の産物であったといえるかもしれない。 この『ひと呼吸』が、手に取った人の日々の呼吸(営み)を見つめ直すきっかけとなり、そして、それぞれの日常のなかでの「ひと呼吸(休息と起点)」になれば嬉しい。 本文 #3 Gomi Yoichi Interviewer / Text Miyatani Masashi 小見出し1「僕の中では全部繋がっている」 宮谷 今日はフレッシュな気持ちで聞きたくて、何の下調べもせずにお伺いしてしまいました。よろしくお願いします。 五味 こちらこそ、よろしくお願いします。 宮谷 まず、この話から聞くというのを決めていまして、五味さんの自己紹介というか、アイデンティティはどこにあるのか教えていただけますか? 五味 アイデンティティや専門を問われると結構悩ましいですね…。学生の頃は応用行動分析学(注1)をベースに行動上の問題のある子どもの研究をやっていて、週に何日も小学校に入り浸っていました。修了のタイミングでたまたま「のぞみの園」(注2)の研究部の仕事の話があって、面白そうだなと思ってそこで3年間。のぞみの園ではいろんな調査をしましたね。僕が関わったテーマとしては、まず強度行動障害(注3)、それから知的障害者の認知症や高齢化の問題、あとは触法の障害者への支援とか、その辺りがメインかな。それから、ちょうど障害者虐待防止法が施行された頃だったので、その法施行後の実態把握も柱の一つでしたね。のぞみの園の任期が終わる次の年度から、ちょうど筑波大学で文部科学省の事業として発達障害学生支援に関するプロジェクト(注4)が始まることになって、そこに採用していただいたので、そのタイミングで筑波大学に戻りました。障害学生支援に関わり始めたのはそこからです。もちろん学生の支援もしていましたが、支援モデルを作るプロジェクトの担当でしたので、支援を通して見えた課題についての研究をしたり、海外の大学の視察に行ったり、そういうことをしていました。 いろいろな領域を彷徨ってきたので、自己紹介もその時々で変わっていますね。のぞみの園にいるときも、筑波大学に行って障害学生支援の仕事を始めたときも、はて自分の専門はなんだろうと思っていたんです。でも最近は、これまでの研究や実践で経験してきたことが「障害学生支援」というキーワードで自分の中で繋がってきて、ようやく「障害学生支援が専門です」と言えるようになってきたかな。僕の中では全部繋がっているんですけど、他人にはわかりづらいですよね。 宮谷 障害学生支援の仕事を選ばれたのには何か理由があるんですか。 五味それもよく聞かれますが、積極的に「選んだ」というわけではなく、流されて辿り着いた感じですね。 宮谷 流されてきた、ですか。 五味 その時々の縁を辿っていったら、たまたま今、ここにいるという感覚でしょうか。ただ、障害学生支援っていろいろな知識が必要な領域なので、いろいろなことをやってきた自分に合っている領域かもな、と思っています。これまで、乳幼児から高齢者まで、ありとあらゆる世代を通して、そして知的障害の軽度から重度の方まで関わってきたので、その経験は今の実践にもプラスに働いていると思いますね。一つの領域でストレートに研究を続けるのもいいですが、そうした経歴を辿ってきていたら、今の仕事はもっと苦労していたと思います。いろいろなフィールドを転々としてきたせいか、専門家として絶対これは人には負けない、譲れないといった強いものってないんです。裏を返せば、いろんな領域の人と一緒にやっていくことに対してあまり抵抗がなくて、意見を聞いて筋が通っていると思えば、それまでの自分の考えと違っていても抵抗なく受け入れます。性格的には頑固なので、納得がいかないと受け入れられないこともありますが。障害学生支援は本当に複合的な領域なので、自分の領域の常識が通じないことって山ほどあると思います。ただ、複合領域ならではのいろんなバックグラウンドのある人たちと関われることを楽しめる人にとっては、魅力的な領域だと思いますね。あと、私自身は研究者というアイデンティティもありますけど、基本的には今も昔も現場の人間という意識が強いです。現場に根ざしながら、地に足の着いた議論や研究ができるのも魅力だと思います。 宮谷 これまでと同じように、今後も別の領域に流れていくことも? 五味 それは何とも言えないですね。これからどんな縁があるかもわからないですし。でも、この領域は今やっと考え方や支援の枠組みが見えてきている段階で、これから5年、10年かけて形になっていく中で次の課題や次のステージが見えてくるのではと思っています。そのとき、僕にとって、障害学生支援という枠組みの中で働くのがいいのか、あるいは、もう少し広い意味で青年期の障害者支援をテーマにした研究や活動をやるのがいいのか…。最近は、大学の障害学生支援という枠組みの中で機能を大きくしていくよりも、地域社会に支援機能がしっかりとあることが大事ではと思うようになっているので、そうしたことに関わるのもありですね。 宮谷 五味さんのように広い視野で俯瞰できるのは、今まで様々な年齢、領域に関わってきたからこそなんでしょうか。大学の人間として、教育者として関わっていらっしゃるのかと思いますが、これまで福祉分野でのご経験もあるからこそ、戸惑いのようなものはあるんでしょうか。 五味 福祉と教育とでどっちが良い悪いではないんですけど、それぞれの世界を経験すると、やはり文化の違いは感じますね。今の僕のスタンスとしては、教育的な視点を持ちながら、福祉のマインドで仕事をしている感じです。福祉の基本は、その人の人生にどう伴走して支えていくのか。そこで大事にされるのは本人がどうしたいかであって、仮に周囲から見て「こうしたほうが良い」というものがあったとしても、支援者がそれを強いたり、誘導したり、代わりに決めたりすることはしません。行動障害のある重度の知的障害のある方の支援でも考え方は同じです。もちろん、一旦のゴールは行動障害がある程度落ち着いて生活できるということになるわけで、そこまでの支援は支援者側の主導で進んでいく部分もあります。でも、行動障害が落ち着くというのは、ある意味ではスタートラインに立つだけのことで、そこから先の長い人生の日々をどう過ごすか、本人の希望をできる限り汲み取りながら、ずっとそれを支え続けなければいけない。でも、日々をどう生きるかとか人生の目標なんて支援者が決められることではないですよね。もしかすると、教育領域の人から見たら、何を目標とした支援なのかがわかりづらかったり、支援者の「待ちの姿勢」をもどかしく思う部分もあるかもしれません。でも、長いスパンで日常の生活を支援する以上、それは自然なことなんだと思います。 福祉領域に比べると、教育の領域はどのライフステージでも、支援者の目標、やるべきことが明解ですよね。子どもは個々に異なるとはいえ、それぞれの発達段階に応じて身につけるべきと思われる能力が育つように積極的にアプローチすることができる。それは教育領域の強みだと思います。一方で、学校現場に行っていると、本人の意思はどこまで汲み取られているんだろうか、と心配になることもあります。各教育段階で支援者が関われる期間が限られているので、今のうちに何とかしないとという焦りもあるのかもしれませんね。私自身も、大学で自分が関わっている中でできることとできないことを考えるときに、どうしても焦りが出てしまったり、本人から要望が出たわけでもないのに余計なお節介をしてしまうことはあります。 宮谷 大学で「学校」という空間や時間は終わりという人が大半ですし、社会に出て「困ってます、なんとかしてください」では通用しなくなるということを学生自身も理解する必要がありますよね。 五味 そうですね。学生自身が考える機会を作るためにも、何度も「あなたはどうしたいの?」と学生に問い続けること、一緒に考えることが大切だと思います。本当は時間があれば、もっとこういうこともできるのにとか、もう少し時間が必要だなと思っていても、学生たちは大学を出ていってしまう。歯がゆい思いをすることはあります。障害学生支援の仕事を始めて感じるのは、どんなサポートがあれば自分の力を発揮できるかを十分に知らないまま入学してくる学生が多いということです。だから、大学さえ行ければ、あるいは就職さえできれば自然と自立できるというものでもなくて、障害のことも含めて自分自身に向き合って、持っている力を発揮できるような周囲との付き合い方を身に着けていくことが本当に大事だと思っています。そういう意味で、大学時代ってものすごく大きな転換点で、いろいろな葛藤や矛盾もあって、心理的発達という意味でも難しくて繊細な時期だと思います。障害のある学生であればなおさらですよね。教科書だと「アイデンティティ確立の時期」とか、簡単に短いことばでまとまっていることもありますが、実際はそんな簡単な話じゃないよって思いません?支援者として難しさは感じますが、だからこそ面白いのかもしれません。 小見出し2「「セコンド」なのか「審判」なのかというジレンマ」 五味 今のような形の障害学生支援の仕事がいつまでできるかという悩みもあります。仕事をしながら感じるジレンマは結構大きいので。 宮谷 ジレンマですか? 五味 障害学生支援の構造からくるジレンマみたいなものは常に感じています。例えば、障害のある学生が配慮を希望するとなったときに、学生にはいろいろな選択肢を提案したり、要望の出し方についてサポートするわけですが、一方で大学としてどこまでやるべきなのか、どこからやるべきではないのかという線引きも考えるわけです。だから、申請を受ける側の教員から相談が来たら、「(合理的配慮としては)そこまではしなくていいと思います」という意見を言うこともありますし、双方の間に入って意見を調整することもあります。でもこれって、それまで学生のセコンドになって後ろから頑張れよと言っていたのに、実は対戦相手のセコンドでもあって、しかもいざ試合が始まると審判に回って、さぁどうぞ話し合ってくださいと言っているようなものですよね。 宮谷 アドボケーター(権利擁護者)でかつコーディネーター(調整役)ということですね。 五味 授業担当者と学生の間の調整であれば、学生の側に立って調整をすることはできますし、そういう場面はたくさんあります。でも大学全体の方針として「現状では対応できない」というものがあったとしたら、僕は大学側の人間としてそれを学生に伝えざるを得ない。だから、今の障害学生支援の担当者って、本当の意味で学生の味方には徹しきれないんだと思います。このジレンマを強く感じ始めたのは最近で、自分に課されている役割が大きく相反しているのに、それを上手に使い分けようとしている自分に気付いた感じでしょうか。学生には、大学の理屈に関わりなく、自分にとって必要だと思う要望は遠慮なく出してほしいけれど、今の障害学生支援の構造では歪みが出てきてしまう。最近は、学生にとってのアドボケーターは、本当は大学の中ではなくて地域にいてくれたほうがいいのだろうなと思っています。 宮谷 五味さん自身が、決してそれをよしとして割り切っているわけではなく、本当は日々葛藤しながらということなんですね。 五味 そうですね。ちょっと視点は変わりますが、子どもがメインの学校教育の感覚を障害学生支援にそのまま持ち込んでしまうと、大学生であってもまだまだ未熟で、より望ましいと支援者が思う方向に導いて行きたくなる、そういう発想になりやすいのかなと感じることがあります。かくいう私も、こうしたほうが先々を考えるといいと思うよとか言って、誘導的に関わってしまうことが実際あります。でも、後から思い返して、それはやっぱり関わり方として違うよなと思うわけです。アドボケーターとして関わる場合であっても、僕はあくまでも情報提供をして、学生が考えるための材料は提示するだけ。それに対してどう考えて、どう判断するのかは学生の自由だし、その選択が支援者側から見ると不合理だったとしてもそれを尊重しなければいけない。わかっているつもりだけれど、それを徹底するのは結構難しいんですよね。でも、やっぱりそういうアドボケーターとしての姿勢は大切にしないといけないなと、最近、DO-IT(注5)の取り組みとか同業の皆さんの話を聞いてより強く思うようになっています。同時に、これまでの自分の関わり方は正しかったんだろうか、ということを前よりも考えるようになりました。先ほどのジレンマの話とも重なりますが、僕自身もアドボケーターとしての姿勢は大切にしつつ、やはり学外にアドボケーターがいてくれると安心ですね。 小見出し3「当たり前のことを高い質で」 宮谷 五味さんの名刺には障害学生支援室長という肩書きもありますね。 五味 そうですね。立場上は室長なのでマネジメントもしますし、実際は学生面談にも入って、配慮申請書類の原案も作りますし、結構何でも屋です。発達障害関係の面談はこの一年間で倍くらいに増えましたね。あと細かい話ですけど、名刺には「学生支援センター」って書いてありますよね。障害学生学生支援室は学生支援センターの下にあって、僕は学生支援センターの専任教員なんですが、その所属が結構ポイントです。「障害学生支援室」だと抵抗があって来られない学生はたくさんいますので、そういうときには「学生支援センター」の教員になるんです。学部の先生が学生に相談窓口を勧めるときに、学生支援センターという形で紹介してもらって、「学業面のいろいろな相談ができる学生支援センターという所があってね」と紹介してもらうと、「それだったら行ってみたいです」という学生もいます。 宮谷 そこもまた使い分けをしているわけですね。 五味 その使い分けもそうせざるを得なくて始めたんですが、このまま二役をやっていくのも厳しいかなと思っています。どこの大学でもそうだと思いますが、発達障害やその傾向のある学生のニーズは急増していますし、障害学生支援としてしっかりと機能を果たすためにも、そのグレーなニーズにも対応できる別の人や機能を大学内に置くべきだと思うんですけどね。そこのマネジメントも少しずつです。 宮谷 一つの部屋をマネジメントしていくのって、障害学生支援室内のリソースの整備なども当然そうですが、学内関係部署との協力体制の構築であったり、本当に時間もエネルギーもかなり必要だなという印象があります。大変ではないですか? 五味 本当にやることは山ほどありますけど、面白いですし、僕は好きですよ。例えば、構成員全員が有資格者とか高度な専門家集団だと、個々人の動きに任せていればいいですし、全体としてのマネジメントがそんなに必要ないのかもしれない。でも、そんな支援体制は現実には作れないし、人の入れ替わりや戦力の変動があることを前提に、その時いるスタッフ全員の力をフルに発揮してもらうためのマネジメントが必要です。属人的な部分が大きくて人が替わるたびに作り直しというチームではなく、人の入れ替わりがあっても一定水準以上の仕事ができるような、仕組みで動けるチームにしたいです。 宮谷 マネジメントしているうえでここに気を付けている、心がけているとか、五味さんが目指す支援室みたいなものがあったりするんですか。 五味 「無理はしない」ことですね。まだまだ課題は山のようにありますが、すべてを急いでやろうとすると当然無理がかかるし、気持ちの部分で焦りが出てきてしまいます。障害学生だけがハッピーなら良いわけじゃなくて、教職員にもそれぞれ生活があるわけで、スタッフがしんどくなって辞めなきゃいけない状態というのは良くないと思っています。いろいろな学生が学べるようにと頑張っているわけですから、同じようにいろいろな教職員が働き続けられるようにしたい、というだけの話ですが。ですから、「本来こうすべき」というのがあったとしても、今できるのはここまでとか、そうした判断をしながら少しずつ前進していく感じです。 大学という組織の中にいますので、新しいことや先駆的であることを求められる部分もあります。ただ、僕自身は障害学生支援室としてはその部分に重きを置いていません。以前に強度行動障害の支援の現場をいろいろ見せてもらったときに、良い事業所というのは、特別なことをしているところではなく、基本的な当たり前のことを丁寧にやっているところだなって思ったんです。実際に、支援のあり方を考えるときには、そういう基本のしっかりした事業所の方に協力してもらいました。たぶん僕も目指すところはそこで、目新しいことはなくても当たり前のことを高い質でできていれば、それ自体に価値があると思っています。外から評価されるかどうかはわからないけど、見る人が見ればわかるんじゃないかな。第一次まとめや第二次まとめ(注6)に書いてあることは、しっかりやろうと思ったら授業の合理的配慮の一つを取ったって、難しい課題がいっぱいです。まだまだ考えなければいけないことがたくさんあると思っています。 小見出し4「五味さんのひと呼吸」 宮谷 さきほど、「無理はしない」という話も出てきましたが、五味さん自身はおそらく大変なご無理をなされているかと思うのですが(笑)。普段はどんな息抜きをされているんですか、仕事で頭がいっぱいに、なんてこともあるかと思うんですが。 五味 あんまり手際がいいほうではないので、もうタスクで頭がいっぱいですよ(笑)。本当はそういうの見せない方が良いんでしょうね。でも、発達障害の学生が「レポートの締切が迫っている」って相談にきたときには、「僕も明日締切のものがたくさんだよ」とか冗談のような本当のことを言って、一緒に悩みながら取り組んでいます。家には小さい子どもが二人いるので、家に帰ればできるだけ子どもと遊びたいですし。仕事は食べていくために必要だからやるけども、どっちがと言われたら子どもと遊んでたいですよね。仕事もやったらやったで楽しいからいいんですけど。 宮谷 お子さんは、もうお父さん(五味さん)がどんな仕事をしている人か認識しているんですか。 五味 「今日のお仕事は?」って聞かれるので、「面談と面談と会議と原稿」と言っています。「今日は面談がいっぱいなの〜?」と喜んでいますが、面談って何かはもちろんわかってないとは思います。 宮谷 お子さんと遊ぶときは、きっとどこにでもいる普通のお父さんなんですね。 五味 それは皆さん、同じじゃないですか。これから先もきっと忙しいでしょうけど、今は特に忙しい時期なのかなと思っていて。群馬大学の支援室に来てまだ1年ですしね。学内の支援だけでなく、重度障害学生に関する調査研究(注7)であったり、僕もある程度の役割とか権限を与えられて、できることややるべきことが増えて。まぁ1年目だろうが何年目であろうが変わらない気もするんだけど…当面は忙しいのかな。それも楽しいんですけどね。 プロフィール 五味 洋一・ごみ よういち 群馬大学 大学教育・学生支援機構 学生支援センター 副センター長/障害学生支援室長 筑波大学大学院人間総合科学研究科修了。博士(障害科学)。大学院修了後、国立重度知的障害者総合施設のぞみの園にて強度行動障害支援者養成研修の開発等に取り組む。2015年より筑波大学にて障害学生支援に携わり、文部科学省や厚生労働省の事業を受け、発達障害や重度の肢体不自由のある学生に対する支援モデル構築に力を注いだ。2017年12月より現職。障害学生支援室長として、多様な学生への支援ならびに全学的な体制整備に携わる。 (注釈) 注1 応用行動分析学 個体と環境との相互作用の観点から、行動に関する法則を見いだしたり、行動の予測や改善のための介入を行う心理学の一体系。 注2 のぞみの園 独立行政法人国立重度知的障害者総合施設のぞみの園(群馬県高崎市)。重度の知的障害がある人達に対する自立のための総合的な支援の提供や、支援に関する調査や研究等を行うことにより、知的障害者の福祉の向上を図ることを目的として設立された。 注3 強度行動障害 直接的他害(噛みつき、頭つきなど)や間接的他害(睡眠の乱れ、同一性の保持)、自傷行為などが、通常考えられない頻度と形式で出現し、対応が困難なもの。 注4 発達障害学生支援プロジェクト 筑波大学が平成27年度より文部科学省の機能強化経費等の支援を受けている研究・実践事業。「意欲と能力のある発達障害学生に対する合理的配慮の提供と高等教育における支援モデルの構築ー「見えない障害」に対する個に応じた支援の実現ー」(略称RADD)。 注5 DO-IT Japan Diversity, Opportunities, Internetworking & Technology 2007年、東京大学先端科学技術研究センターが主催となって始められた、障害のある学生の進学と就労への移行支援を通じた社会のリーダー養成プログラム。 注6 第一次まとめ・第二次まとめ 平成24年度および平成28年度に文部科学省から公表された「障害のある学生の修学支援に関する検討会報告」のこと。 注7 厚生労働省障害者総合福祉推進事業 平成28年度「大学等に通学する障害者に対する支援モデル事業」(指定課題1)と平成29年度「大学等に通学する重度障害者に対する支援体制構築の体系化」(指定課題1)を筑波大学が受託し、調査を行った。平成30年度からは、一般社団法人全国高等教育障害学生支援協議会が受託した、文部科学省先導的大学改革推進委託事業「重度障害学生に対する支援のあり方に関する調査研究」に関わっている。 Editor’s Note 私自身、これまで五味さんの名前や姿をいろんな場所でお見掛けしていましたが、いずれも厚労省の成果報告書やAHEAD全国大会の分科会担当など、まさにこの分野の若手トップランナーとしてご活躍されている姿で、なんだかものすごく遠い存在のように感じていました。ただ今回、五味さんも私と同じように日々現場で汗をかきながら悩みながら(でも楽しみながら)、学生支援のコーディネートに取り組む姿が見えてきて、とても身近に感じられたことが嬉しかったです。また、「流されてきた」からこその切り口で障害学生支援の現状と課題、そしてこれからについて語っていただき、その思いの一端に触れ、私は自分のなかのモヤモヤが整理されていくようですごく安心しました。安心という言い方が正しいのかわからないのですが。 今回のインタビューでとても印象的だった「構造的ジレンマ」。私もうまく言語化できていなかったモヤモヤ感の正体に気づかされ、記事をまとめながら何度も揺れ動かされました。読者のみなさんがどのように感じられたか、ぜひお話がしたいなと思っています。 (宮谷祐史) Concept 障害のある学生が高等教育にアクセスする権利を保障するための取り組みである「障害学生支援」には、その主人公である学生と対話し、ともに行動してきた多くの実践者たちの存在があります。こうした実践者一人ひとりには独自のバックグラウンドがあり、またそれぞれの考え方や想いをもって形作ってきた歴史があります。私たちは、これらの「人」によって蓄積されてきた考え方やその想いを知ることが、これからの障害学生支援を考えていく上で貴重な機会となり、この分野の魅力を知ることにつながると考え、この『ひと呼吸』を発行することにしました。ここに綴られているのは、私たちを含めた一人ひとりの関係者にむけた応援のメッセージです。 ひと呼吸・編集委員会(HEAP×Kyoto Univ.DSO) 村田淳、舩越高樹、宮谷祐史、木谷恵 HEAP:高等教育アクセシビリティプラットフォーム Kyoto Univ.DSO:京都大学 学生総合支援センター 障害学生支援ルーム クレジット 発行/高等教育アクセシビリティプラットフォーム(HEAP) Address 京都市左京区吉田本町 京都大学学生総合支援センター内 Web https://www.gssc.kyoto-u.ac.jp/platform/ Mail d-support-pfm[@]mail2.adm.kyoto-u.ac.jp Tel 075-753-5707