ひと呼吸第2号 リード文 私たちの日常。それは多くの営みの連なりである。 普段、それぞれの行為の意味を考えることは少ないが、ふと立ち止まって考えてみれば、そこには偶然と必然が潜んでいることに気づく。 呼吸。そのような自然な行為ですら、太古における偶然と必然の産物であったといえるかもしれない。 この『ひと呼吸』が、手に取った人の日々の呼吸(営み)を見つめ直すきっかけとなり、そして、それぞれの日常のなかでの「ひと呼吸(休息と起点)」になれば嬉しい。 本文 #2 Okuyama Toshihiro Interviewer Murata Jun / Text Kitani Megumi 小見出し1「障害者であることの大変さを活かす」 村田 奥山さんとは時々仕事でご一緒しますが、このように改めてお話をうかがうのは新鮮です。今回は障害学生支援という視点でお話を伺いたいと思っているのですが、最近では、私も運営に関わっているAHEAD JAPANの全国大会で、分科会(注1)の講師をお引き受けいただくなど、この分野との関わりも増えてきたように思います。とても素朴な質問になりますが、奥山さんのこれまでと障害学生支援という分野が交わるようになったきっかけや経緯ってどのようなものだったんですか? 奥山 僕の場合、最初から障害学生支援に関わろうと思っていたわけではないし、今でも特に学生だけに関わろうと思っているわけではないんですよ。ただ、自分も当事者として生きてくるなかで、自然に障害分野にも関わるようになった。その延長で今があるって感じかな。僕が大学院を修了した時はまだバブルが続いていて、どこの企業でも入れるような状況で、家から通える製造企業でシステムエンジニアを4年半したっていうのが社会人としてのスタートだった。仕事自体は面白かったんだけど、だんだん目標みたいなものがわからなくなっちゃって。そんな時、新聞でダスキンの障害者の海外研修(注2)があるというのを知って、そこで一念発起。翌年には休職して、アメリカへ行くことになった。会社を辞めるつもりはなかったんだけど、一年間行って帰ってきたら、もうそのままサラリーマンはできないっていう感覚になっていたんだよね。その出来事が大きなターニングポイントだったかな。会社の上司にはちょっと怒られたけどね(笑)。 村田 それが90年代の中頃あたりでしょうか。日本でも色んな取り組みはあったと思いますけど、そのタイミングでアメリカの様子を見てきた奥山さんにとっては、大きな違いやギャップを感じたということなんでしょうね。 奥山 そう、まだその頃の日本では、障害者のアクセシビリティに関する研究をやっている人はほとんどいなかった。偶然アメリカで出会った中邑賢龍先生(注3)が、障害者のコンピュータへのアクセシビリティを保障する電子情報福祉機器の情報誌『こころリソースブック』と『こころWeb』を作り始めていて、帰国後、僕も関わるようになった。あと、その頃、障害のある人の在宅サポートとして、家庭教師のような感じでパソコンを教えたりもしていたんだけど、残念ながらなかなか広がらなかった。そんなことをしているうちに、東京大学の先端科学技術研究センター内で、バリアフリープロジェクト(注4)というものが立ち上がって、そこに参加したことがきっかけになって、今につながっていくような人との繋がりもできた。DO-IT Japan(注5)(以下、DO-IT)の活動もそこからです。 村田 DO-ITの活動はどのように始まったんですか? 奥山 そもそも、障害のある大学生が少ないのではないかという話がきっかけだね。社会を動かすというか、社会のことを考えるためには、社会のことをじっくり学んだり、考えたりする必要があると思う。でも障害者の場合、大学で学ぶ人が極端に少ない。だから社会が変わっていかないんじゃないかって。そこで、もともとアメリカでやっていたDO-ITを2007年に日本で始めることになった。面白かったよ。その頃の研究室には教育や心理の研究者だけでなく、ロボットの研究をしているような人や、国の政策に精通している人、あとは具体的な福祉サービスに詳しい人とか、様々な領域の人たちがぐっと集まっててね。 村田 障害分野の取り組みということになると、福祉とか教育とか、そのような背景のある人達が中心に集まると思いますが、多種多様な人たちが集まったというのは面白いですよね。だからこそ、そこから生み出されるものは自ずと多様な展開になりますし、エネルギーもすごい。そのエネルギーってDO-ITの強みですよね。 奥山 その頃よく思っていたのが、障害者の置かれている世界はどうしても狭くなるということ。例えば、障害者が大学進学を考えるとき、まずは、障害のある学生を受け入れたことがあるか?家から通えるか?ということで大学を選ぶことが多かった。自分もそうだったから強くは言えないんだけど、それでいいんだろうか、って。もっと自分で何を学びたいのか考える、一人ひとりの可能性っていうか、選択肢があってもいいんじゃない?って思っていた。でも実際には、受験も大変、大学生活も大変。あらゆることがままならない。でも、そういう大変さは確かにあるとして、そうした大変さをいかに自分たちの生活、人生に活かせるのかっていう視点から考えてみないといけないと思ったんだよね。 村田 自分で考える、そして、それをもとに自分で選択していくっていう発想は、まさにDO-ITにつながっていく部分ですよね。 奥山 そうそう。それから、DO-ITを始めるときにもう一つ考えていたことがあった。エド・ロバーツ(注6)が大学へ進学するときの話なんだけど、彼は、はじめUCLA(注7)を受験しようとしていたんだよね。なぜなら、そこは車いすの人とか障害のある学生たちを既に受け入れていて、環境が整っていたから。車いすでのアクセスと障害学生の受け入れという条件を優先して考えるのは、あのロバーツにとってもあたりまえだったということなんだよね。でも、そのことを進学アドバイザーに相談してみると、障害者という理由だけで進学先を限定してはいけない、障害のない学生と同じように本当に行きたい学校を選ぶべきだ、それならUCバークレー(注8)に行けばいいじゃないって言われたって、そう本に書いてある。そういうことを言う支援者や教員って、日本にいるかな?って思ったよね。そういう人が身近にいるとおもしろいなって思ったし、自分もそういう存在でありたいと考えるようになった。 村田 単純なことなんですけど、大事な部分ですよね。最近は大学のなかでも支援というものが制度化してきて、場合によってはその弊害みたいなものも出てきているのではないかと思います。例えば、障害のある中高生が、進学相談のために大学のオープンキャンパスに来る。そこで大学の関係者は支援のことを一生懸命考えようとして、あなたは高校の時にどんな支援を受けてきましたか、大学では何を求めますか、というようなことを質問する。だけど本来は、なぜこの大学に来たいのか、なぜこの学科を選んだのかということのほうが先であるべきですよね。 奥山 そうだね。そこは多くの大学関係者にもわかってほしいけど、実は本人にもぜひ考えてみてほしいところ。やりたいことがあるなら、それをやっていく可能性を考えてほしい。やりたいことをしようとすれば、予想以上に大変なことが出てくるかもしれないけど、そうした大変さも、ある意味で自分の障害を考えるきっかけになるからね。自分のことを考えて自分で選択していくって、簡単なことではないかもしれないけど、とても大切なことだと思う。DO-ITを始める時も、そうしたことをしっかりおさえたプロジェクトをやりたいというのが念頭にあった。 村田 エンパワーメントについては、大学としてどこまでタッチしていくか。それを考える時に思うのは、親という存在の位置づけというか距離感ですね。私自身、実際には学生の親との接点もとても多いです。大学でもそうですが、小学校や中学校の生徒の保護者の方々と接する時もあります。実は、そういう場にいると、どこの大学の障害学生支援が良いかとか、自分の子どもと同じ障害のある学生がいる大学はどこか、というような質問をされることが多いんですよね。気持ちは理解できるんですけど、やっぱり本質ではない気がするし、何より本人の希望とか考えが置き去りになってしまっているように感じる時もあります。大学の障害学生支援の現場でも、親のニーズや要望にどこまで答えるべきなのか。支援者からそういう悩みをよく聞きますね。 奥山 やっぱり最終的には学生本人に、「あなたはどうしたいの?」って繰り返し聞いていくしかないんだよね。親がいたとしても、本人に聞く。大学からすると親と話し合ったほうが、実際には相談にかかる時間も短縮できるということがあるかもしれないけれど、それは良くないし、たとえ時間がかかっても、やっぱり本人が決めていくということを確保しなくちゃいけないよね。ぜひそういう大学であったり、支援者であってほしいなと思う。 小見出し2「大学は人生の一部でしかない」 村田 奥山さん自身は、今の状況に対する課題認識であるとか、これからについて、どのように考えていらっしゃいますか? 奥山 教育も大事なんだけど、やっぱり就職や働くことの支援に触れていかないといけないと思ってる。もちろん、一般の就労の形だけじゃなくていいと思うし、極端に言えば自分で起業するなんてこともあるかもしれない。 村田 確かにそうですね。既存の状況にどのように入っていくかということだけでなく、多様性も大事ですよね。でも、実際にはまだまだロールモデルが多くないという感じもします。 奥山 多くないよね。筋ジス、筋疾患などで、電動車いすに乗っている学生たちは、DO-ITの最中では様々に発言して活発だなぁ、たくましいなぁと感じていても、就職の段階になるととたんに厳しい現実を突きつけられる。実際、社会に出ることのハードルが小さくないっていうことだよね。そこは、社会全体として考えなくちゃいけない課題。ただ一方で、入試制度が整ってきたから、大学へのルートというのは、以前に比べれば広がってきた。それはすごくポジティブなことなんだけど、その反面、学生が現実を知って苦労する中で、それをどうクリアしていくのかということを考える機会が少なくなっているような側面も出てきた。時間がかかるかもしれないけど、ときにはしっかり立ち止まって考えないと、自分の人生を生きられないということも起こってしまうかもしれない。 村田 大学としては、ある程度ちゃんとした支援をしたいと思う。もちろん、学ぶ権利を保障するためのアプローチは必要です。ただ一方で、本人にとって必要な時間をショートカットしてしまっているかもしれないし、それは本人の人生を考えた時に正しいことと言えるのか、それを考える必要がありますね。大学は、社会のことやその中にいる自分のことを考えるには最適な場所だと思います。だからこそ、その時間を有効に使ってほしいですよね。 奥山 さらに言うと、大学を卒業して、最近は大学院に行く学生も増えたけど、そうすると次は、正社員として働きたいと言う。気持ちはわかるけど、パートはイヤだとかね。意外とそこは一般的な価値観なのか、って思うところはある。障害基礎年金をもらえるようになったら、それをむしろ糧にして、自分の生活を賄いながら何がやりたいのかということにちゃんと向き合っていくっていう選択肢もあると思うんだけど、ちょっとステレオタイプというかね。もちろん、一般的な生き方を選択することを否定するつもりはないんだけど、それ以外の選択肢もあっていいかなと思うね。 村田 彼らがチャレンジできる機会を大学が確保していくことも大事です。ただ一方で、大学生活にしても就労や社会生活にしても、彼らの自己決定や彼らなりのプロセスを尊重するというのが大切だということですね。 奥山 結局、障害があってもなくても、自分が生きていて楽しいと思えればいいと思う。でも、障害学生はその実感が薄い子も多いんじゃないかと思います。なんか淡々と生きているような。 村田 たくさんの経験から得られる刺激、あるいは様々な選択肢に出会う機会が、少し制限されてしまっているということでしょうか。 奥山 そういうこともあると思う。以前、ポルシェに乗っていたことがあったんだよね。でもそのとき、同じ当事者の人に「障害者が外車に乗っていいんだ?!」みたいなことを言われたことがあって。素朴にそう思っていたようで。社会には、「障害者なのに」という意識が見え隠れしている。それを障害者の中には、自分の中に自然と取り込んでしまっている人もいると思う。世間の影響も大きいと思うんだけど、実は障害のある人たちのほうが、「普通」であることにこだわってしまっているのかもしれない。だから、大学に入るということも、人生の中の一部分でしかないはずなのに、それが目的になってしまう。やっぱり、DO-ITであるとかダスキンの海外研修であるとか、そういうところに関わる子たちは、少なからず何か見えてくることがあるみたい。他の国の価値観に出会ったり、自分のこれまでのことを振り返る時間があるから。 村田 大学の支援では、ひとつ間違えると「困っている学生」として障害学生を捉えて、われわれが何とかするんだという保護的な関わりになってしまう。必要な支援はちゃんと考えていかなければダメだと思いますけど、むしろ彼らに近い存在として大学の教職員自身が、彼らの刺激になっていくぐらいじゃないといけないなと思います。 小見出し3「自分がいいと思うことをやってみる」 村田 最後の質問ですが、奥山さんにとってのひと呼吸、つまりリフレッシュできることってどんなことですか? 奥山 最近は毎年海外旅行に行ってる。それもDO-ITの夏季プログラムが終わった直後に小学生の息子も連れてね、忙しいけど(笑)。前回は10日間ぐらいハワイ島に行ってきたし、実は、今度もDO-ITが終わった翌々日からロサンゼルスに行くことに決めた。 村田 いいですね。もう次の行き先まで決まっているんですか(笑)。 奥山 そうだよ、もうチケットも予約したしね(笑)。今から色々計画するのが楽しみだね。やっぱりそういうことも大切だと思うよ。 村田 私たちも日々仕事に追われて、すぐにいっぱいいっぱいになってしまう。だからこそ、こういった企画を始めたんです。今の奥山さんの話のように、普段たくさん考えたり、しなきゃいけないことがあるけど、それだけで疲れて止まってしまうんではなくて、大きな仕事が終わったら旅行に行ってしまってもいいし、別に365日一心不乱にやることが良いわけでもない。『ひと呼吸』は、この分野に関わる人に焦点をあてているんですけど、うまく息抜きもして、みんなで考えるときはしっかりやっていこうよっていう機運もつくりたいなって思っているんです。 奥山 そうだね。みんな不安な部分もあるけど、そんなに不安ばっかり感じていてもしようがないしね。とりあえず、自分がいいと思うことがあれば、まずはなんでもやってみたらいい。そういうことを学生たちに伝えていかないといけないよね。もちろん、それは僕らも同じ。もしうまく動けないときがあるなら、すぐに答えがでなくても、少し立ち返って悩んでみるっていうことを選んでみてもいいと思う。それはきっと必要な時間っていうことだよね。 プロフィール 奥山俊博・おくやまとしひろ 東京大学先端科学技術研究センター 人間支援工学分野 大学院修了後、製造企業に就職。その後「ダスキン障害者リーダー育成海外研修」で渡米し、子どもたちへのICT技術を活用したコミュニケーション支援に関わる。帰国後、退社して自らAT(アシスティブテクノロジー)エンジニアの活動を始め、2002年より現職。障害者が使えるIT等のリソースを掲載した『福祉情報技術(e-AT)製品ガイド』の編集、障害のある学生の進学を通じたリーダー養成プロジェクトDO-IT Japanに関わる。 (注釈) 注1 分科会 全国高等教育障害学生支援協議会(AHEAD JAPAN)第3回大会における分科会「ICT技術の活用とアクセシビリティ保障」 注2 ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業 1981年に発足した、地域社会のリーダー育成のため障害のある若者を海外に派遣する制度。 注3 中邑賢龍 東京大学先端科学技術研究センター教授(人間支援工学)/学際バリアフリー研究プロジェクト(AT2EDプロジェクト)、DO-IT Japan、東大先端科学技術研究センター・日本財団による異才発掘プロジェクト「ROCKET」などの発起人。 注4 バリアフリープロジェクト 福島智氏を中心に、東京大学先端科学技術研究センターにて立ち上げられたプロジェクト。障害のある人や高齢者を含む多様な人々にとってバリアの少ない社会を構築していくことを目指し、公正で豊かな社会を支えるバリアフリーの理念を、様々な領域の研究の蓄積に基づいて提示するとともに、具体的な問題の解決を当事者の視点から推進していく研究拠点。 注5 DO-IT Japan:Diversity, Opportunities, Internetworking & Technology 2007年、東京大学先端科学技術研究センターが主催となって始められた、障害のある学生の進学と就労への移行支援を通じた社会のリーダー養成プログラム。 注6 エド・ロバーツ 1960年代、米国カリフォルニア大学バークレー校に入学し、整っていなかった大学構内や地域社会へのアクセシビリティを求め、自身と同じ重度障害のある学生の中心となって運動を展開。世界で初めて自立生活センターを立ち上げ、障害者の自立生活のシンボルと言われている。 注7 UCLA カリフォルニア大学ロサンゼルス校(University of California, Los Angeles) 注8 UCバークレー カリフォルニア大学バークレー校(University of California, Berkeley) Editor’s Note 奥山さんとお話しするのは初めてでした。にもかかわらず、いきなり立川にあるご自宅訪問で、少々緊張しながら村田さんがインタビューしている周りで写真を撮り続けました。明るいベランダからは多摩川が見えたと思います。相模原も。1970年代に始まった障害者の自立生活運動は、このあたりで活発に展開されました。私も十年ほど前に、重度訪問介護の資格をとるためこの地にやって来たことがあります。そのときも、重度の身体障害の方が暮らす団地の一室にうかがい、ご自身が関わってこられた運動の話や普段の生活の話を聞き、私の知っている一人暮らしとの違いに衝撃を受けたことを思い出しました。奥山家にも、当たり前ですが、奥山さんご一家の生活が確かにありました。それをわざわざ「自立生活」と呼んでしまっていいものか、もっとお話をお聞きしたいところですが、でもやっぱりそうだったのだろうと思います。自立生活運動の始まりから40年以上が経ちます。インタビュー記事を書きながら、いまでもわざわざ「自立生活」と言い続ける必要があるんだということを考えました。そして大学で学ぶことも、そうした自立や自由を謳歌することにつながっていけばいいなと改めて思いました。 (木谷恵) Concept 障害のある学生が高等教育にアクセスする権利を保障するための取り組みである「障害学生支援」には、その主人公である学生と対話し、ともに行動してきた多くの実践者たちの存在があります。こうした実践者一人ひとりには独自のバックグラウンドがあり、またそれぞれの考え方や想いをもって形作ってきた歴史があります。私たちは、これらの「人」によって蓄積されてきた考え方やその想いを知ることが、これからの障害学生支援を考えていく上で貴重な機会となり、この分野の魅力を知ることにつながると考え、この『ひと呼吸』を発行することにしました。ここに綴られているのは、私たちを含めた一人ひとりの関係者にむけた応援のメッセージです。 ひと呼吸・編集委員会(HEAP×Kyoto Univ.DSO) 村田淳、舩越高樹、宮谷祐史、木谷恵 HEAP:高等教育アクセシビリティプラットフォーム Kyoto Univ.DSO:京都大学 学生総合支援センター 障害学生支援ルーム クレジット 発行/高等教育アクセシビリティプラットフォーム(HEAP) Address 京都市左京区吉田本町 京都大学学生総合支援センター内 Web https://www.gssc.kyoto-u.ac.jp/platform/ Mail d-support-pfm[@]mail2.adm.kyoto-u.ac.jp Tel 075-753-5707