ひと呼吸第1号 リード文 私たちの日常。それは多くの営みの連なりである。 普段、それぞれの行為の意味を考えることは少ないが、ふと立ち止まって考えてみれば、そこには偶然と必然が潜んでいることに気づく。 呼吸。そのような自然な行為ですら、太古における偶然と必然の産物であったといえるかもしれない。 この『ひと呼吸』が、手に取った人の日々の呼吸(営み)を見つめ直すきっかけとなり、そして、それぞれの日常のなかでの「ひと呼吸(休息と起点)」になれば嬉しい。 本文 #1 Okada Norikazu Interviewer and Text Murata Jun 村田 今回の企画の第一段ということで、私自身もどうなっていくのかわからないところがありますが、とにかくお話を聞いてみたい人にインタビューするというシンプルな考え方で、初回は岡田さんのところへやってきました。 岡田 本当に私で良いんですか? 村田 もちろんです。まずは、岡田さんがこの分野でお仕事をされるに至った理由や経緯を聞いてみたいのと、岡田さんが現在の障害学生支援の分野をどのように見ているのか、そして、最後にこの分野の展望みたいなところをお聞きしたいと思っています。 岡田 わかりました。何だか緊張しますね。 小見出し1「日々の積み重ねから大学のフィロソフィーが変わる」 村田 では、早速本題と言いたいところですが、最初に聞きたいことがあります。岡田さんって、例えば、「ご自身のことを自己紹介してください」って言われたらどのようにお答えすることが多いのでしょうか。 岡田 一言では難しいですね…。でも、最初に思いつくのは、「どさ回りをしています」ですかね。普通に言えばコーディネーターっていう説明になるんでしょうけど、ちょっと自分ではしっくりこないところもあって。例えば、コーディネート業務のなかで何か配慮をお願いするときって、配慮依頼の文書を出すことが多いと思うんですけど、そこに何らかの権限や強制力を持たせて、「やる必要がありますよ」「やらないとダメですよ」というだけではなく、それを受け取る教員や学科、あるいは支援者の捉え方や想いなどもふまえて、そこに関わっているすべての人がコミットするように動く、そういうことを丁寧にやっていくことが大切だと考えています。何かあった時にサポートセンター(注1)が権威的に判断を下すのではなく、教員や学科のお考えを伺ったり、学生の意思を引き出してそれを関係者間にフィードバックしたりしながら、地道に進めています。手間はとてもかかりますけど。枠組みや仕組みを作って、じゃあ後はこの通りにやってくださいって、指示を出して終わりではありません。 村田 すごく大切なことですよね。 岡田 それと同時に、大学のフィロソフィーを変えたいなっていうのはあります。日々の細かいやり取りなどを通して、いつの間にか支援ってこういうものなんだっていうのを教員や周りのみんなが分かっていくような、そういうことを狙いながらやっています。自己紹介になっていないかもしれないけど、そういう意味では「どさ回りをしています」というのが当てはまるような気がするし、フィロソフィーや文化を変えるための仕事をしているっていう感じもあります。 村田 実務的なところのパフォーマンスをいかに高められるかに専念するだけではなく、フィロソフィーや文化なども変えていくというところを意識できるかもポイントになるという感じでしょうか。 岡田 そうですね。もちろん、まずは学生の困り感を解消するために仕事をしているんですけど、そこで終わらないで、やっぱり大学全体の文化であったり雰囲気だったり、そういうものをいつの間にか変えていくっていうのがコーディネーターの仕事だと思っているので、日々の本当に小さな仕事の積み重ねだと思います。学生の困り感や悩みだけにフォーカスし過ぎると、どうしても対症療法的になってしまいますよね。後手にまわるというか。でも考え方そのものを変えることができれば、同じような課題が起きても永続的に対応できる。あるいは大学のメンバーそれぞれが、そもそも困り感が生じないようにという発想で取り組めば、環境を整えることができるかもしれない。 村田 日々の仕事の中でドラスティックに変化することもありますが、それも日々の小さなことの積み重ねの延長であると意識しておくことで、仕事として携わることの一貫性はきっと出てくる。じわりじわりと変わっていくものって、それ以降もしっかりと共有されていく可能性があるように思います。 岡田 じわりじわりって大事ですよね。本当に小さなことで言うと、例えば、聴覚障害のある学生が受講する授業で映像教材が使用される場合、文字起こしのサポートをすることがありますが、その際の文字起こしのクオリティにはこだわります。話者の言いよどみとか、特に意味を持たないような言葉も含めて、本当に一字一句忠実に文字を起こす。さらには、日本語字幕があっても、その裏で英語が聞こえていればそれも書き起こしたり、話者が画面に出ていないときは、今何を話しているかがわかるように、スクリプトの文字に網掛けをしたり。もしかしたら、学生もそこまで必要ないと思っているかもしれないけど、聞こえる学生には聞こえている以上、同じレベルの情報は出したいなと思います。そこにはこだわっているんです。そして、その文字起こしのデータを教員に送って、「次年度以降いつでもお使いください」とか、「先生が直接学生にお渡しください」と伝えて、教員自身が配慮をしていくという形が作れるようにしていく。そういうことを続けていることで、ある種の信頼というか、教員もバックアップしているという気持ちを持っていただける。そうすると、こちらから頼んでいなくても、教員のほうから支援のことを連絡してきてくれたりする。そういう積み重ねで、少しずつ大学全体の考え方であったり、フィロソフィーが変わっていくのかなって思いますね。 村田 学生のためにやっていることが、教員の意識を変えて、それがまた学生のメリットとしてかえってくる。短期的な変化ではないけど、とても大切なことですよね。 岡田 法的にも合理的配慮は義務。でも、やっぱり合理的配慮をする上でも、それ以前の基礎的な環境整備は大事なわけで、それが充実していれば、その分、個別支援の必要性が減っていくと思います。環境整備は物理的なことだけではなくて、フィロソフィーや雰囲気を変えていくっていうことも含むんだと思います。そうした変化に関わることができるっていうのは、この仕事の醍醐味の一つかもしれませんね。 小見出し2「大学時代もっと勉強したかったという気持ち」 村田 岡田さんって、障害学生支援のお仕事をするようになって何年くらいになるんですか? 岡田 何年だろう。早稲田で大学院生をやっていた時が最初で、学生と並行してアルバイトっていう形で1年半くらい、そのあとアメリカに3年半留学して、帰ってきて別の大学で2年半。2014年にここにきたので、トータルでいうと10年近く。長くなっちゃいましたね。 村田 最初にこの分野に携わることになったきっかけは何だったんですか? 岡田 今思い返すと本当に偶然です。たまたま色々なタイミングがうまく合ったんですかね。実は、そもそも学部生の時にはサポートを受けていないんです。それは支援がいらないとかじゃなくて、支援があることを知らなかった。でも実際にはだいぶ困っていて、自分なりにもちゃんと勉強できていないなっていう自覚はありました。他の学生がいつの間にか知っていること、話していること、レポートに書いていることが自分にはできない。「何で書けるの?」と思っていた。何とかして勉強したいな、このまま働くのは嫌だなと思い、大学院に行けば何かが変わると思って進学したら、今度は毎日のようにディスカッションじゃないですか。もうこれは無理だ!辛い!となった。そんなとき、たまたまテレビで手話で話している番組を見て、「これなら話がわかるかも」と思った。本当に偶然ですが、同じタイミングで手話サークルにも出会い、入ってみたんです。そうしたら、たまたまそのサークルに同学年の聴覚障害のある学生がいて、彼からノートテイクとか色々なことを教えてもらった。それで初めてノートテイクを付けてもらったのが大学院一年目の秋。 村田 はじめてノートテイクを受けてみていかがでしたか? 岡田 なんじゃこれは!と(笑)。まあ衝撃でした。同時に自分が学んでいた大学の4年間って何だったんだろうって思いました。それから色んなことを勉強して、聞こえない友だちもできて、情報保障についても色々と知るようになりました。この友人達とアメリカに行くことにもなって、そこで完全に目が開いたというか、もう単純に「将来こういうのやりたい!」と思ったんですよ。もちろん、自分が良い情報保障を受けたい、学びたいという意味もあるんですが、こういうことを仕事にできたらいいなって思った。 村田 同じくらいの時期にPEPNet(注2)の動きも活発になってきますよね。 岡田 そうそう、日本のPEPNetもちょうど私がそんなふうに学び始めたときに動き出して、こんな動きもあるんだと知りました。松崎先生(注3)や白澤先生(注4)、吉川さん(注5)など様々な方々と少しずつ繋がって、より専門的な活動やネットワークを構築するような事業に関わらせてもらうようになった。でも当時、この仕事は率直に言って食える仕事じゃなかった。それで、どうしようかなと考えていたときに、日本財団、日本ASL協会で「聴覚障害者海外奨学金事業」というのが始まって、アメリカ留学のチャンスがあった。結果的には第三期生として行かせていただきました。それで帰国すると、今度は帰国するタイミングで前の大学にご縁をいただいた。その後、退職していた時期に今度は本学と縁ができ、ここに至ります。なので、本当に今振り返ると偶然というか機会に恵まれたというか。でも結局、続けてきている動機って、「大学時代もっと勉強したかったなあ」っていう気持ちですかね。今でも一年生を見ると羨ましいですもん。自分も授業受けたいなあって。だから、支援現場の確認という名目で授業を見に行ったりするのはちょっと楽しみです(笑)。でも本当に今でも、機会があればどこかの学部に入って勉強したいっていう気持ちはありますね。 村田 なるほど。そういうプロセスなんですね。でも、最後におっしゃった気持ちって、すごく本質的な気がします。そう思うと障害学生支援って何を目指すものなのかが、少し見えてくるような気もしますね。 岡田 一つは「ジリツ」かなと思います。「ジリツ」の「リツ」は、「立つ」じゃなくって行人偏の「律」。つまり、その状況に対して、自分で考えて動ける人を育てる、動くための、あるいは卒業後に動けるようになるためのサポートをするのが障害学生支援だと思っています。もちろん、大学として法律を遵守したり、やるべきことはちゃんとやるんだけど、やっぱり最後は学生本人がどう考え、どう動き、どう巣立っていくかというところが大切だと思います。なかなかバランスが難しいとは思いますが、べったりサポートするのではなく、ましてや支援者が自分の手の上に常に置いておいて、メンタル面も含めてネガティブなことを周りが取り除いてあげているというのではありません。逆に、学生の希望をそのまま飲み込むのでもなく、程よい距離感でいる。時には失敗もあり、落ち込むこともあるでしょうけど、それはそれ。だって他の学生だって波はありますよね。なので、ある面では放っておく。もちろんきちんと気にはかけますけど。これって実際には本当に難しいと思いますが、このあたりが、大学における障害学生支援という領域の一つのキーかなと思います。 小見出し3「コーディネーターの役割とは」 村田 岡田さんなりに例えば、障害学生支援という領域のこの先の5年とか10年に対して、何かイメージを持っていますか? 岡田 うーん、正直ないかな。というのも、変な意味じゃなくて、淡々とやっていくことってとても大事だと思うんです。支援が充実している大学が先進的な取り組みやインパクトのあることをやることも大事ですが、でも一方で、普通の大学が普通にやるべきことを粛々とやっていくことも大事だと思います。それはこの先も求められることだと思うし、あの大学だからできる!ではなく、どこの大学でもできるよね、と。障害者差別解消法ができて、合理的配慮の重要性、コンプライアンスとしての視点は強くなっているけど、やっていることや、やるべき支援って、大枠はこれまでとそんなに変わらないと思うんです。今まで「配慮」としてやってきたことを、よりフォーマルに継続性を持って安定的にやっていくだけ。そう考えると、これまでちょっとずつやってきたことの延長ですからね。 村田 確かにそうですね。本来、障害学生支援というのは「新しい取り組み」でも「オプションとしてのサービス」でもないということですよね。 岡田 障害学生支援は「教育的インフラ」であり、学生が自律的に学ぶためには必要な前提だと思います。あって当たり前。あとは、個別対応だけでなく、大学のフィロソフィーを変えるところに繋げていく。大事なのはこの二つだけで、あとはコツコツと継続的にやっていくということに尽きると思います。それを進めていくのがコーディネーターの役割だと思うし、根拠はないけど、自分はそれをすべきということは自信を持って言える。でも、かといって、じゃあ支援はコーディネーターにしかできないか、専門性を持っていないとできないかっていうと、そんなことはないと思います。例えば、〝よい支援〟をするために10の要件が必要だとして、そのうちの5は専門性がなければ難しいかもしれないけど、残りの5は他の人でもできるかもしれない。教員や職員、他の学生、あるいはテクノロジーの力を借りることもできる。そこをきちんと繋ぎ合せて同じベクトルに向かうように整理していくこともコーディネーターの役割だと思いますし、こうした方向性が噛み合ったときにこそ、フィロソフィーって変わっていくのかもしれませんね。 村田 その点では、明治学院大学ではコーディネーターを有期雇用ではなく恒常的なポストとして配置していて、この業務の責任を果たしてくということが前提になっているわけです。これは、現在の日本ではとても珍しく、残念ながら多くの大学ができていないことです。岡田さんのお話を聞いていると、個別の支援に対する責任だけでなく、大学全体のなかでの責任も負っている。それが出来る立ち位置に立てているというのが、結果としてそれぞれの大学における障害学生支援を良くしていくための要件の一つのような気がしてなりません。 岡田 そうですね。アメリカでもよく見聞きしたことなんですけど、コーディネーターといった障害学生支援のスタッフは、二つに対して責任と縛りがある。一つは自分の専門背景としている領域。これはもちろん大事です。もう一つは、自分が属している組織や『大学における障害学生支援』という場。前者のみに忠実であるならば、確かにその領域の専門家かもしれないけど、「大学における障害学生支援職」ではない。そうなると、時には自分の専門家としての考えや想いと、自分のいる組織のそれとが一致しないこともありえますよね。そうしたときには難しい判断を迫られることもありますが、やはり前提としては両方を考えて、両方に責務を果たさないといけないと思います。その意味からも、おっしゃるように、コーディネーターが継続的に責任を果たしていくことができる立ち位置にあるということは、必要だと思います。 小見出し4「覚悟をもって関わり合う」 村田 最後にちょっとくだけた質問なんですけど、岡田さんって、どんな風にリフレッシュしたり、一息ついたりしているんですか? 岡田 うーん、難しいけど、頭を使わないことじゃないですかね。最近は、入ってくる情報に対して常に頭が動いている感じで休まらず、結構しんどいんですよね。だから本でも良いし、映画とかも好きなんですけど、見たものや聞いたもの、言われたことに対して何のリアクションもいらないような、100パーセント受身の自分でいられる時間を作れると、結果として随分リフレッシュできます。意外とそこからふとアイデアが生まれたり、ヒントが出たりするので。あ、結局頭を動かしていますね(笑)。 村田 なんだか、岡田さんの人間っぽいところが聞けて、個人的には嬉しいです。仕事以外のこともたくさんお話ししてもらおうと思ったんですけど、やっぱり仕事のお話が中心になりましたね。そうなることは予想していましたけど、やっぱり仕事に対する熱量というか想いが勝ってしまいました(笑)。 岡田 熱量と言えば、皆忙しくなりすぎて、昔だったら、その人の想いや考え方を知る機会って多かったような気もするんですけど、なんとなくその辺が…。法律もできて、障害学生支援が領域横断的に色々な分野と関わるようになって、またこの分野が一つの職域として認知されるようにもなってきて、色々な人がこの分野に関わるようになってきた。日本にAHEAD(注6)もできた。それはもちろんプラスの側面ではあるのですが、一方で、深く話をするような機会が減ってしまって、その人の熱意なりを知るっていうことが減っている気がします。アメリカのAHEADも何回か参加していますが、なんとなく熱気って言うんですか、そういうものがちょっと違う気がします。もちろん文化的な違いもありますけど、障害学生支援という領域としてのパワーを感じるというか。うーん、覚悟っていうと重いかもしれないけど、そういうものを持って、お互いを知って関わり合うことって、やっぱり必要なんだと思います。 村田 やはり、この企画の最初に岡田さんとお話しできて良かったです。先進的なことや専門的なこともたくさんあるし、それはとても大切なんですけど、この分野に関わる人が意識しておくと良いと思える前提を岡田さんへのインタビューを通じて確認できたような気がします。ありがとうございました。 プロフィール 岡田孝和・おかだのりかず 明治学院大学 学生サポートセンター障がい学生支援コーディネーター 早稲田大学大学院教育学研究科 Santa Clara University, MA in Higher Education Administration修了 大学院進学後に偶然知ったノートテイクに衝撃を受け、自身も支援を利用し始める。日本財団「聴覚障害者海外奨学金事業」の助成でアメリカに3年半留学し、高等教育における障害学生支援プログラムの管理運営等を学ぶ。都内私立大学を経て、2014年より現職。 (注釈) 注1 明治学院大学 学生サポートセンター 同大学における障害学生支援の総合支援窓口。 注2 日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(PEPNet-Japan) 全国の高等教育機関で学ぶ聴覚障害学生の支援のために立ち上げられたネットワーク。筑波技術大学を拠点とし全国の大学・機関の協力により運営。 注3 松崎丈 宮城教育大学 教育学部 准教授 注4白澤麻弓 筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター 准教授 注5 吉川あゆみ 関東聴覚障害学生サポートセンター 注6 全国高等教育障害学生支援協議会(AHEAD JAPAN) 高等教育機関における障害学生支援に関する相互の連携・協力体制の確保、実践交流、調査・研究及び研修・啓発の実施により、支援の充実並びに学術研究の発展に寄与することを目的とした全国協議会。 Editor’s Note 2018年10月。岡田さんのインタビューのために明治学院大学の白金キャンパスを訪れました。品川駅から起伏に富んだ住宅街をするすると通り抜けると、20分ほどで趣のある正門に到着。丁寧に整えられた芝生とチャペル(礼拝堂)に大学の雰囲気を感じ取りながら、岡田さんが待つオフィスへ向かいました。岡田さんのことは何年も前から知っていましたが、ちゃんとお話をするまでにはしばらく時間があったように思います。ここ2〜3年ほどで少しずつ接点も増えて、障害学生支援についてお話しする、そして時には一緒に夕食を楽しむような間柄になりました(岡田さんがどう思っているかはさておき)。雑談のような雰囲気のインタビューのなかでも、岡田さんの想いや考えは明確に現れます。そして、それは一貫したものであるからこそ、何度でも。今回のインタビューで岡田さんの全てを切り取れたとは到底言えませんが、インタビューが終わった後でも、情報保障について熱心に語る姿が、岡田さんのこの仕事への向き合い方を表しているような気がしました。とても小さな記事ですが、一人でも多くの人と共有され、そしてこの分野にいるみなさんの記憶にとどまっていくことを願っています。(村田淳) Concept 障害のある学生が高等教育にアクセスする権利を保障するための取り組みである「障害学生支援」には、その主人公である学生と対話し、ともに行動してきた多くの実践者たちの存在があります。こうした実践者一人ひとりには独自のバックグラウンドがあり、またそれぞれの考え方や想いをもって形作ってきた歴史があります。私たちは、これらの「人」によって蓄積されてきた考え方やその想いを知ることが、これからの障害学生支援を考えていく上で貴重な機会となり、この分野の魅力を知ることにつながると考え、この『ひと呼吸』を発行することにしました。ここに綴られているのは、私たちを含めた一人ひとりの関係者にむけた応援のメッセージです。 ひと呼吸・編集委員会(HEAP×Kyoto Univ.DSO) 村田淳、舩越高樹、宮谷祐史、木谷恵 HEAP:高等教育アクセシビリティプラットフォーム Kyoto Univ.DSO:京都大学 学生総合支援センター 障害学生支援ルーム クレジット 発行/高等教育アクセシビリティプラットフォーム(HEAP) Address 京都市左京区吉田本町 京都大学学生総合支援センター内 Web https://www.gssc.kyoto-u.ac.jp/platform/ Mail d-support-pfm@mail2.adm.kyoto-u.ac.jp Tel 075-753-5707